「感染拡大の責任、政治軽視の社会にも 神里達博さん」

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以下、朝日新聞デジタル版(2021/1/23 16:00)から。

 コロナ禍に見舞われて、もう一年になる。改めて、2020年に起きたことを思い返してみた。

 当初、この社会は「新しいリスク」に激しく緊張した。海の向こうから悪(あ)しきものが来た時、この島国の住人は、しばしば最高度の警戒心をもって身構える。だが、感染者数が欧米に比べて少ないことが分かると、楽観的なムードが広がっていった。感染が拡大しにくい未知の原因、「ファクターX」があるのではないか、という議論もでた。

 しかし物事は、何と何を比較するかで、その見え方は大きく変わる。確かに欧米に対しては、日本はうまくいっているように見えたが、アジアの近隣諸国と比べると、決して褒められたものではなかった。

 公表されている数字を見る限り、中国やベトナムの感染者数は非常に少ないが、日本とは社会体制が違うので、単純比較はできないかもしれない。しかしお隣の韓国と比べても、決して状況は良くない。20日午後までの日本の累計死者数は4680人だが、人口が約半分の韓国では1300人で、実質的に日本の方が多い。韓国では、この冬の新規感染者数も、すでに先月下旬から減少傾向にある。

 圧倒的に優れているのは台湾で、いまだに累計死者数は1桁、感染者数の全ての合計が千人に満たない。いまや東京だけで毎日千人を超える感染者がでていることを思えば、彼我の差に愕然(がくぜん)とさせられる。

 欧米とは、ハグや握手といった習慣の違いや、公共空間での会話の仕方、マスクに対する考え方など、さまざまな違いがある。自然環境も異なる。一方、韓国や台湾などは、共通点も多い。近隣諸国と比べれば、むしろ日本が「一人負け」、この冬、さらに事態が悪化しつつある、という姿が見えてくる。

 その原因は色々あるだろう。だが最大の問題は、やはり「政治」にあるのではないか。それは、かなり本質的な意味において、である。

(後略)