以下、朝日新聞デジタル版(2021年11月11日 12時51分)から。
死者に鞭打つつもりは毛頭ないが、以下、10年以上も前の佐高信氏による瀬戸内寂聴評。
佐高信氏は、氏の2009年の著書「小泉純一郎と竹中平蔵の罪」(毎日新聞社)で、瀬戸内寂聴氏について次のように書いている。
2-1=2-1という等式が浮かんだ。石原慎太郎と田原総一郎の対談本(二冊もある)、および石原と瀬戸内寂聴の対談本(『人生への恋文』をそれぞれ二とし、そこから同じく石原慎太郎という一を引くと、すなわち田原イコール瀬戸内になるのである。
石原を持ち上げる点で二人は同類なのだ。瀬戸内は石原に「同期に出発した小説家としての親近感と同志的感情」を持ち、「心の許せる友人の一人」だと、前期の対談本のあとがきに書いている。これだけで、瀬戸内の説法はすべてパーになるだろう。(中略)
瀬戸内は京セラの稲盛和夫とも対談本を出して持ち上げているが、田原が日本振興銀行会長の木村剛やオリックスの宮内義彦と対談本を出してホメまくっているのとそっくりである。見さかいがないのだ。アレもよし、コレもよし、つまりは、自分がないということになる。
最近、瀬戸内の『奇縁まんだら』(日本経済新聞社)がベストセラーになっているが、三島由紀夫もいい、荒畑寒村もいいという無節操交遊録。
(後略)
なるほど。