昨日、映画「フリーダムライターズ」から、公民権運動のフリーダムライダーズの話を書いた。
そういえば、ポールサイモンにフリーダムライダーのことを歌った唄He Was My Brotherがあったはずと思って、インターネットの検索エンジンで、「He was my brother lyrics Paul Simon」と検索してみたところ、”Freedom rider”のはずが”Freedom writer”となっているではないか。そんなはずはないと、別のサイトを調べてみても、やはり”Freedom writer”とある。長年にわたる私の記憶違いかとも思ってみたが、文脈上、間違えるはずはない。
これはどういうことか。
この唄He Was My Brotherは、公民権運動のために、まさにフリーダムライダーとして南部に行って死んでしまった友人の唄だったはずだ。そう私はずっと思い込んでいた。
そんなバカなと、LPコレクションのSimon and GarfunkelのWednesday Morning 3 Amを引っ張り出してみた。
LPジャケットから歌詞カードを引っ張り出してみると、私の記憶通り”Freedom rider”とある。
くどいようだが、文脈上、Freedom riderしかありえないと思うのだ。
Freedom riderなのか、Freedom writerなのか
そこで、もう一度、あちこちインターネット上で歌詞を調べてみたら、Songfacts.comという興味深いサイトを発見した。というのも、このサイトでは、私の想定通り、Freedom riderの説が有力だからだ。また、その理由も私が考えていることと同じである。いわば、私の応援団ということになる。
http://www.songfacts.com/detail.php?id=3783
いろいろな人が投稿して議論しているのだが、そのいくつかを訳してみることにしよう。氏名はあえて割愛した。
「この唄はアンドリューグッドマン(Andrew Goodman)のための唄では絶対ない。この唄は、ポールサイモンがイングランドにいたとき、事故が起こる前に書かれたものだ。ポールサイモンがこの唄をリリースしたのは、アンドリューが殺された後だ」
「『フリーダムライター』だって、『フリーダムライダー』じゃないのか。ポールサイモンソングブックでは「ミシシッピがお前の墓場になるぞ」と歌われていたのが「この町は」に変えられているように、ポールサイモンがいくつかの歌詞を変えたのだ」
「絶対に”Freedom Rider”だ。1964年6月21日の夜に起こったアンドリューグッドマン、ミッキーシュワナー、ジェイムズチェイニーの殺人が、テレビ用に制作された映画「ミシシッピの殺人」と長編特作映画の「ミシシッピバーニング」の主題だ。アンドリューグッドマンやサイモンとガーファンクルのウィキペディアを見てほしい。この唄は事故の起こる前に確かに書かれたものだが、その後、グッドマンに捧げられたものだ」
「この唄は、他の二人の仲間とともに、1964年にKKK団に殺された公民権運動の活動家であり大学時代の友人であるアンドリューグッドマンに捧げられたものだ。」
さまざまな条件から、好むと好まざるとにかかわらず、文章も歌詞も書きかえることはざらにある。けれど、アンドリューグッドマンのことがポールサイモンの頭にあったときは、Freedom riderであったはずだ。
もうひとつ考えられることは、唄にも歴史があるということだ。この点、ポールサイモンの蒐集家でない私にはわからないが、これだけインターネット上の歌詞がFreedom writerになっているのだから、ヴァージョンによって、Freedom writerというヴァージョンがあるのかもしれない。
先日ウィキペディアについては、その取り扱いを注意しなければならないという記事が載っていたが、たしかにウィキペディアなど批判的に接しないといけないことは言うまでもないが、それでも、こうした情報にアクセスできるということは昔では考えられなかったことだ。
たまたまFreedom riderとFreedom writerのことから少しだけ調べてみただけのことだが、私は、少し前の時代と現代とを比べざるをえなかった。
アンドリューグッドマンのウィキペディア
http://en.wikipedia.org/wiki/Andrew_Goodman
サイモンとガーファンクルのウィキペディア
http://en.wikipedia.org/wiki/Simon_&_Garfunkel