そこで、もう一度、あちこちインターネット上で歌詞を調べてみたら、Songfacts.comという興味深いサイトを発見した。というのも、このサイトでは、私の想定通り、Freedom riderの説が有力だからだ。また、その理由も私が考えていることと同じである。いわば、私の応援団ということになる。
http://www.songfacts.com/detail.php?id=3783
いろいろな人が投稿して議論しているのだが、そのいくつかを訳してみることにしよう。氏名はあえて割愛した。
「この唄はアンドリューグッドマン(Andrew Goodman)のための唄では絶対ない。この唄は、ポールサイモンがイングランドにいたとき、事故が起こる前に書かれたものだ。ポールサイモンがこの唄をリリースしたのは、アンドリューが殺された後だ」
「『フリーダムライター』だって、『フリーダムライダー』じゃないのか。ポールサイモンソングブックでは「ミシシッピがお前の墓場になるぞ」と歌われていたのが「この町は」に変えられているように、ポールサイモンがいくつかの歌詞を変えたのだ」
「絶対に”Freedom Rider”だ。1964年6月21日の夜に起こったアンドリューグッドマン、ミッキーシュワナー、ジェイムズチェイニーの殺人が、テレビ用に制作された映画「ミシシッピの殺人」と長編特作映画の「ミシシッピバーニング」の主題だ。アンドリューグッドマンやサイモンとガーファンクルのウィキペディアを見てほしい。この唄は事故の起こる前に確かに書かれたものだが、その後、グッドマンに捧げられたものだ」
「この唄は、他の二人の仲間とともに、1964年にKKK団に殺された公民権運動の活動家であり大学時代の友人であるアンドリューグッドマンに捧げられたものだ。」
さまざまな条件から、好むと好まざるとにかかわらず、文章も歌詞も書きかえることはざらにある。けれど、アンドリューグッドマンのことがポールサイモンの頭にあったときは、Freedom riderであったはずだ。
もうひとつ考えられることは、唄にも歴史があるということだ。この点、ポールサイモンの蒐集家でない私にはわからないが、これだけインターネット上の歌詞がFreedom writerになっているのだから、ヴァージョンによって、Freedom writerというヴァージョンがあるのかもしれない。
先日ウィキペディアについては、その取り扱いを注意しなければならないという記事が載っていたが、たしかにウィキペディアなど批判的に接しないといけないことは言うまでもないが、それでも、こうした情報にアクセスできるということは昔では考えられなかったことだ。
たまたまFreedom riderとFreedom writerのことから少しだけ調べてみただけのことだが、私は、少し前の時代と現代とを比べざるをえなかった。
アンドリューグッドマンのウィキペディア
http://en.wikipedia.org/wiki/Andrew_Goodman
サイモンとガーファンクルのウィキペディア
http://en.wikipedia.org/wiki/Simon_&_Garfunkel