「(論壇時評)総選挙の構図 「希望」が幻想だったわけ 歴史社会学者・小熊英二」

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 以下、朝日新聞(2017年10月26日05時00分)から。

 安倍晋三首相の周辺は、「日本人は右が3割、左が2割、中道5割」と語っているという〈1〉。今回の選挙を、この図式をもとに読み解いてみたい。

 実はこの比率は、選挙の得票数にも合っている。「右3割」は自公の固定票、「左2割」は広義のリベラル(共産党も含む)の固定票、「中道5割」は棄権を含む無党派として検証してみよう。

 日本の有権者は約1億人。「右3割、左2割」なら、自公が3千万票、野党が2千万票となる。実際に2014年衆院選の自公の選挙区得票数は2622万、4野党(民主、共産、社民、生活)が1989万。16年参院選比例区は自公が2768万で4野党は2037万だ。なお維新の得票を自公に足すと2回とも約3千万になる。首相周辺は、こうしたデータをもとに語っているのだろう。

 そして12年以降の国政選挙投票率は、いつも50%台だ。つまり「中道5割」の多くは棄権している。この状況だと、リベラル(2割)は必ず自公(3割)に負ける。野党が乱立すればなおさらだ。

 民主党が勝った09年衆院選はどうか。この時の投票率は69%で棄権が3割。民主・社民・共産は選挙区で3783万、自公は2808万。両者の比率はざっと4対3で、グラフで示すと図1となる。リベラル(2割)に無党派票(2割)が加わり、自公(3割)に勝った形だ。

 今回の選挙はどうか。希望の党は、無党派票を集めて自公に勝つかのように当初は報道された。つまり図2(リベラル2、自公3、希望4)になるというわけだが、それには投票率90%が必要だ。どんなブームでも、それは不可能である。

     *

 ならば今夏の都議選で、なぜ自民は負けたのか。実は都議選では、小池ブーム以上に、公明党の動向が大きかった。

 創価学会衆院選の各小選挙区に2〜3万票を持つ。これが野党に回れば、自民党候補は2〜3万票を失い、次点候補が2〜3万票上乗せされる。つまり次点と4〜6万票差以下で当選した自民党議員は落選する。14年総選挙の票数で試算すると、公明票の半数でも離反すれば自民党議員が百人は減るという〈2〉。

 都議選では、公明党が小池新党支持に回った。しかも東京は農業団体など自民の固定票が少ない。結果は、公明票に離反された自民が総崩れになった。

 図3で都議選の得票を単純化した。投票率は51%で棄権5割。公明の支援を得た小池新党と公明党の合計で2・5割。東京は無党派が多く自民もリベラルも固定票が少ないので、自民系が1・2、民進・共産・社民などが合計1・2。こうみると、1・2を凌(しの)ぐ程度かそれ以下の「小池効果」で自民に勝てたとわかる。小池ブームは意外と小さかったのだ。

 今回の選挙に公明の離反はない。冷静に考えれば、夏の都議選は大阪での維新ブームの変形版にすぎない。ならば都知事が党首の政党が地方でブームを起こす理由もない。自民党茨城県連幹事長は、「希望」立党直後から、地方に大きな影響はないと述べていた〈3〉。初めから「希望」の大勝など幻想だったのだ。

     *

 ではなぜ「希望」は過大評価されたのか。これはメディアの責任が大きい。維新が国政に出た時、東京のメディアは冷静にうけとめた。だが彼らは、自分の地元の東京で起きた小池ブームを相対化できず、東京で起きたことは全国で起きると誤断した。「永田ムラ」に密着している「報道ムラ」の記者は、永田町の現象を全国的現象と考えがちだ。小池の「排除」発言がなければ勝っていたという意見は、幻想に惑わされた「永田ムラ」と「報道ムラ」の責任回避だと思う。

 それでも、小池自身はまだしも冷静だった。彼女が党首に出た理由は、すでに65歳で、首相の座を狙う最後の機会だったからだといわれる〈4〉。それで党首になっても、知事を辞任して国政に出る判断は世論調査の支持率を見たあとで十分だから、都知事の座は確保できた。

 軽率だったのは、支持率調査さえ出ないうちに自滅行為に走った前原誠司だ。彼は民進党支持者が希望支持に移行すると考えたかもしれないが、あんな独断的なやり方で支持者が離反しないはずがない。党の公式サポーターすら「前原誠司に詐欺られた」と非難した〈5〉。

 あるいは前原は、民進党内のリベラル派を切り、保守二大政党を実現する好機と考えたかもしれない。だがリベラル層を切りながら自公に勝つには図2の達成が必要だ。実際には、非自民・非リベラルの票を狙った維新や「みんな」、そして希望は、約10%の保守系無党派票を奪いあうニッチ政党にしかなっていない。

 逆に立憲民主党の健闘はリベラル層の底堅さを示した。自公に勝ちたいなら、リベラル層の支持を維持しつつ無党派票を積み増す図1の形しかない。保守二大政党など幻想であることを悟るべきだ。

 選挙は終わったが民主主義の追求は続く。政治家はブームや幻想に頼らず、現実の社会の声に耳を傾けてほしい。

     *

 〈1〉記事「『安倍政治』を問う:3 選挙中は『こだわり』封印」(本紙9月29日朝刊)

 〈2〉記事「衝撃シミュレーション もし今、衆参ダブル選挙なら 安倍自民、大敗!」(週刊ポスト15年8月21日・28日号)

 〈3〉記事「うねる政局、手探り 衆院選」(本紙9月29日朝刊)

 〈4〉記事「小池“緑のたぬき”の化けの皮を剥(は)ぐ!」(週刊文春10月19日号)

 〈5〉北原みのり「騙(だま)された…選挙に行くしかない」(週刊朝日の連載、10月20日号)

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 おぐま・えいじ 1962年生まれ。慶応大学教授。今月は、記事に自作グラフを添えるアイデアを提起した。

「(あすを探る メディア)「3ない」立憲、支えたネット 津田大介」

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 以下、朝日新聞デジタル版(2017年10月26日05時00分)から。

 自民・公明の与党が大勝した今回の衆院選は、メディア――とりわけネットと政治の距離という観点で眺めると、あとから歴史的な転換点として位置づけられる可能性がある。

 今回の選挙戦の報道を見ると、新聞やテレビは従来通りの情勢分析が中心だったが、ネットメディアでは政治家の発言やネットで流れる言説の内容を確認し、情報の正確性や信憑性を評価する「ファクトチェック報道」が目立った。

 (中略)

 今回の総選挙は、ネットを利用した政党の情報発信にも注目が集まった。丁寧に編集された動画や、共感を呼ぶ「中の人(選挙スタッフ)」のツイートが話題を呼び、立憲民主党の公式ツイッターアカウントのフォロワー(読者)数が、開設からわずか3日で、政党では最多だった自民党ツイッターアカウントのフォロワー数を抜いたのだ。
 
 (中略)

 …今回の選挙の出口調査を基にした年代別投票先を見ると、立憲に投票した人は主に40〜60代の中高年層だ。データを見る限り、立憲のツイッターは若年層ではなく、30〜40代の無党派層の一部を取り込むことに成功し、そこに元々リベラル派だった高齢者の浮動票が加わることで今回の結果につながったのだろう。
 一方で、2013年の参院選から解禁されたネットを利用した選挙運動としては画期的な面も見られた。10月12日にツイッターとウェブサイト上で個人寄付を呼び掛けたところ、わずか9日で8500万円を超える寄付が集まったのだ。結党直後で組織力、広報力、資金力に乏しい同党をネットが支えたのは疑いがない。希望の党との議席数の差が5だったことを考えると、ネットも含めた情報発信の巧拙が野党第1党の座を巡る明暗を分けた可能性もある。(中略)
 日本では長らく地盤(組織力)、看板(知名度)、かばん(資金力)の「3ばん」がなければ選挙に勝つことはできないと言われてきた。ネットで個人から寄付を定期的に集める環境が整い、その政党に支持が集まり議席を伸ばせば、将来的に政党助成金や企業団体献金を廃止することも現実味を帯びてくる。予想外の善戦を見せた立憲のメディア戦略は、新たな参加型民主主義の可能性を示しているのかもしれない。
 (つだ・だいすけ 1973年生まれ。ジャーナリスト・政治メディア「ポリタス」編集長)

遠藤賢司さん、亡くなる

 自称・純音楽家遠藤賢司さんが亡くなった。
 俺が遠藤賢司をはじめて聞いたのは、名盤「満足できるかな」だった。「満足できるかな」は、高校時代の愛聴盤の一枚だった。

 初期のアルバムでもっていないアルバムは、『歓喜の歌 遠藤賢司リサイタル』(1973)と『オムライス』(1983)。前者はライブ盤。このアルバムはもっていないが、この頃の演奏は、神田共立講堂などのライブで聴いたことがある。1976年5月3日、日比谷野音の「東京を救おうコンサート」では、雨の中ステージを駆け回って演奏していた。
 渋谷のワルツという店に行ったこともある。

 「ハードフォークブギウギ」も「踊ろベイビー」よ」も好きだったが、その後のスタジオアルバムが好みではなく、段々と離れていたが、2014年のアルバム「恋の歌」が良くて、再びライブにも出かけるようになった。

 そう僕の願いはただひとつ
 そんな小さな子に赤ちゃんに
 これからの若い人に

 美味しい空気を
 たらふく食べさせてあげたいな
 そしてたくさん恋をしてほしい

 つくづく思うんだ
 この日本はもっと綺麗で
 もっと美味しい国だったんだよ
 だからもうこれ以上 穢(けが)さないで!
 
                「44年目のカレーライス」から

 2014年の草月ホールでのライブも圧巻だった。
 純音楽家遠藤賢司のすさまじいパフォーマンスによる「夜汽車のブルース」をまた聞きたいと願っていたのに残念だ。

 俺のCD棚には、以下がある。
 これでも、彼がリリースしたアルバムの半分くらいだろう。
 RIP。合掌。


『niyago』(1970)
満足できるかな』(1971)
『嘆きのウクレレ』(1972)
KENJI』(1974)
『Silver Star BEST OF KENJI ENDO』(1975)
『HARD FOLK KENJI』(1975)
『東京ワッショイ』(1979)
『宇宙防衛軍』(1980)
遠藤賢司 黎明期LIVE!』(1989)
『夢よ叫べ』(1996)
『もしも君がそばにいたら何んにもいらない』(1998)
エンケンの四畳半ロック』(1999)
『幾つになっても甘かあネェ!』(2002)

恋の歌』(2014)
遠藤賢司デビュー45周年記念リサイタル in 草月ホール』(2015)
『満足できるかな デラックス・エディション』(2016)
『45年目の満足できるかな』(2016)