本棚の整理中なのだが、未読の本が本棚にそれなりにあって、いくつか読み始めたものがある。
"The Impoverished Spirit in Contemporary Japan" もそうした一冊。これは、英語版「貧困なる精神」(本多勝一)。
もちろん出版にあたっては原著者の承諾をとっているはずだろうが、著者名が Honda Katsuichi とヘボン式の綴りになっているのだから、英語偏重ともいえるヘボン式に異を唱える本多さんも発行を良しとして、かなり妥協したのだろう。
本多勝一は高校時代から愛読していて、「貧困なる精神」もほぼ全巻書棚にあるから、実は俺はこの英語版を読む必要はない。これは俺の収集癖と、長年なんちゃって高校英語教師をやってきたので、買い求めた一冊に過ぎない。
編者のジョン・リー(John Lie)*1による "Introduction: Honda Katsuichi and Political and Intellectural Life in Postwar Japan" を興味深く読んだ。ジョン・リー氏は、現在、UCバークリーの社会学教授。
一読してみて、これは、日本の戦後政治史を知るのに、格好のテキストのひとつになっていると感じた。戦後史を日本語で読むのと、英語で読むのとでは、視野・視点が違って、多角的に認識できる印象を持った。
概略に過ぎないが、イントロダクションの内容をざっと追ってみると…。
戦後日本の自民党政治。右派と左派。逆コース。共産党と社会党。岩波書店と朝日新聞*2。初期の本多勝一の冒険と科学。「知られざるヒマラヤ」「カナダ・エスキモー」。愛読書のひとつ「ファーブル昆虫記」。とくに影響を受けた梅棹忠夫。ベトナム戦争と政治意識。人種差別。「戦争と民衆」「戦場の村」。「アメリカ合州国」。問題意識と植民地主義的文化人類学批判。「マゼランが来た」。アイヌ民族。日本の戦争責任追及。「中国の旅」。南京虐殺。「日本人であることの重荷」。大江健三郎批判。画一的なメダカ民族を育成する教育。植民地主義的教育。受験教育の弊害。公害と環境問題。英語汚染。「日本語の作文技術」。「貧困なる精神」。1992年の朝日新聞退社とあたらしい週刊紙の立ち上げ等々。
繰り返しになるが、本多勝一を材料にして戦後日本政治史が概観できるテキストになっている。
さて、イントロダクション読後、"The Fifteen Years' War as a War of Invention" (「侵略戦争としての15年戦争」)を一読して、思うことは、翻訳の限界だ。
高校時代から本多勝一記者の文章を読んできたからだろう。翻訳では、本多氏の文章の面白さ・味わい・感触を感じることができない。
イントロダクションのなかで、編者自身が断っているのだが、アメリカ人読者に通じるようにするため、削除・入れ替え・注釈と本文の編集と、かなりの編集をおこなったようだ。その上で、原意を損なわないように努力したとあるが、やはりこれにはかなり限界がある。
もちろん主張そのものは、本多氏の思想であり、本多氏の書いた内容を踏襲している。これは当然のことだ。ただ、その味わい。素材感はまるで違う。たとえはよくないが、同じラーメンでも、博多とんこつラーメンと、あっさり醤油味、否、あさり塩ラーメンくらいの違いがある。
そうはいっても、文化状況として、輸入超過で輸出不足の日本として、本書が出版された意義はすくなくない。
英語帝国主義のお先棒をかつぐことはないが、機械翻訳や AI が発展している今日、外国語による自己表現も、容易になりつつある。若者は、外国語による自己表現に挑戦*3してみてはどうか。
*1:Lieは通常「ライ」と発音されることが少なくないが、UCバークリーのHPの氏の紹介文に、「リー」と発音するとあった。
*2:リベラルな新聞として戦後日本を牽引してきた朝日新聞。本多記者が活躍してきた時期と今とでは、その凋落ぶりは眼を覆うばかりだ。記者にたいしても教師にたいしても最大限の「自由」が保障されなければならない - amamuの日記