映画「戦雲ーいくさふむー」を観てきた

ikusafumu.jp

 遅ればせながら「沖縄スパイ戦史」の三上智恵監督による映画「戦雲ーいくさふむー」を地元上映会で観てきた。

 力作のルポルタージュだった。

 まだ見ていない方には、必見の映画である。

 台湾有事の名のもとに、何がすすめられているのか。地理的には、琉球弧と呼ばれる与那国島石垣島宮古島等。そして沖縄本島が舞台のドキュメンタリーだ。

琉球弧(沖縄・南西諸島)、与那国島石垣島宮古島

 南西諸島の人びとをていねいに描くことによって*1、反対派も賛成派も、客観的に言うなら自衛隊員も巻き込んで、まるごと棄民化されていく現実と、その現実にたいする怒りがわいてくるルポルタージュだった。

 与那国島では、カジキマグロと格闘する川田おじい。漁師。革新を支持したことはないという猟師である。そして牛飼いの小嶺さん。与那国の暮らしぶりがていねいに描かれる。

 石垣島では、若い世代が、住民投票をめざして十分な署名を集めたにもかかわらず、市の「自治基本条例」から住民投票の条文を削除するという非情で姑息な仕打ちで住民自治を破壊して建設をすすめる。石垣島の山里おばあの言葉が刺さる。「道はいつでも開いてるよ。ふさいだのはあんたたちじゃない」「平和の道ふさいだのはあんたたちじゃない」。

 宮古島では、楚南さん。ミサイル基地。弾薬庫。さらに射撃訓練場建設によって軍事的騒音公害で静かに暮らす権利を侵害する。

 与那国の、久部良ハーリーの試合競技は、アオテアロアニュージーランドの先住民・マオリとも、なんらかの共通性があるのではないかと、アオテアロアニュージーランドを思わせるものだった*2

 ミサイル基地建設や弾薬庫建設によって、棄民とされる沖縄のひとたち。

 それは、反対派も消極的賛成派も、結局は、軍事戦略のなかに飲み込まれ、尊厳をもった人間であるのに、そこに存在していないかのように無視される*3

 映画は、与那国島でのハーリーに参加する自衛隊員の存在も淡々と映し出す。

 亡くなられた翁長知事*4が沖縄は軍事基地がなければもっともっと発展するすばらしい土地だと強調されておられたが、沖縄の文化と独自性がそのことを示していた。だからこそ、一層怒りがわいてくる。

 坂田明の演奏もいい。

*1:新聞労連評による本多勝一「戦場の村」紹介に、「第1部から第4部までの記録は、読み流していると、ベトナム戦争とはなんのかかわりもない描写のようであり、”先進国”の記者が”後進国”の民衆を生態学的にもて遊んでいると誤解されかねないほどだ。(略)ところがこうした記録を通して、読者はひとくちに”ベトナム人民”と呼ばれているその”人民”の具体的な様相をすっかり自分のものにしてしまうのだ。(略)その上で、第5部「戦場の村」第6部「解放戦線」へと続くスリリングな戦争そのものの場面で、読者はその親しい”人民たち”の悲惨さと解放の明るさを読むのである。(後略)」とあり、この点では、ジャンルはちがうが、映画「戦雲」は、本多勝一「戦場の村」を思い起こさせてくれるような優れたルポルタージュ映画といえる。

*2:ハーリーは、中国由来ということらしいが、ポリネシアン文化として共通性があるような印象がある。ワカ・アマ・レガッタを二回見物する - amamuの日記

*3:たとえばアメリカ合州国における黒人的存在がまさに見えない(invisible)存在であったといえる。

*4:翁長知事による沖縄についてのすばらしい「講義」は以下参照。「「政府は話し合いを」翁長知事、日本記者クラブで会見」 - amamuの日記