青年劇場「豚と真珠湾 ー幻の八重山共和国」を紀伊国屋サザンシアターで観た。
沖縄本島にはこれまで数回程度しか行ったことがない。当然八重山や石垣島にも行ったことはないけれど、休みとなれば波照間島に幾度となく訪れていた同僚がいた。今回「豚と真珠湾」を観て、台湾・沖縄・朝鮮の入った舞台上の逆さの日本地図の演出に驚いた。東シナ海が全く違ったものに見えたからだ。
「豚と真珠湾」という芝居は料理屋を舞台に話が展開する。というより料理屋でしか話は展開しない。だから冒頭で紹介した地図は舞台の上では出ずっぱりで、舞台が夕刻になると、背景に同化してけっして邪魔になることなく、舞台が八重山の石垣島からの話であること、その視点は一貫していて明快である。
さらに時間設定も、敗戦の年の秋から5年ほどの間のことで、これはいつの話なのか、小さいながらも舞台上に照明で示されるから明快である。「豚と真珠湾」という芝居は、八重山の石垣島という視点から時間的には(明確に現代までつながっているけれど)1945年から1950年あたりの物語に焦点化されている。
そこに台湾軍属やハワイへの沖縄移民の日系二世や戦災古老、孤児、元教師など様々な人間が登場する。ひとつ思うのは、沖縄の地政学的位置であり、その多義性であり、ステレオタイプでははかれないということだ。さて本作は2007年に俳優座のために書き下ろされた作品だという。
斎藤憐氏による書き下ろしの趣旨は「沖縄からの戦後の告発という調子ではなく、ロマンのある海の人々の物語でもあります」という。陸地観念に支配されている者に海洋文化の自由な航海術は見えにくいものだが、ポリネシア文化に見られるごとくかつての海は現代人の思考以上にハイウェイだったと想像する。
青年劇場と演出家・大谷賢治郎氏は、長い本作を短縮し2時間ものに仕上げたという。沖縄本土復帰50年の年にあたり観客に問いかける舞台に感じた。「その時にいたであろう人たちを想像し、それぞれの人物が切実さを持って生きている姿を描く。それが芝居」というまさに斎藤憐氏の持論に近づく舞台であった。