マーク・ピーターセン「心にとどく英語」を読んだ

「心にとどく英語」(1999年)

 岩波新書の「日本人の英語」(1988年)を一読して、マーク・ピーターセン氏のものは読みたいと思い、いま以下の新書が本棚にある。

  • 「日本人の英語」(岩波新書)(1988年)
  • 「続・日本人の英語」(岩波新書)(1990年)
  • 「心にとどく英語」(岩波新書)(1999年)
  • 「実践 日本人の英語」(岩波新書)(2013年)
  • 「英語のこころ」(インターナショナル新書)(2018年)

 なかでも「心にとどく英語」は未読だったので、今回初めて読んでみたのだが、本書は、英語学習の中上級者には是非とも読んでもらいたいと強く感じたので、以下、紹介したい。

 日本人がたとえば英語を学ぶ決意をして、いざ学び始めて、数年が経ち、ようやく少しは発話ができるようになったとしても、「ワタシハ エイゴヲ ウマク ハナセナイ」くらいしか自己表現ができない。とくに、日本のように、島国で、言語環境として、ESL第二言語としての英語)ではなく、EFL(外国語としての英語)という言語環境ならなおさらだ。それでも母語話者ではない外国人が学習した結果の到達度としては、なかなかのものだとも評価できるのだが、骨子は伝わるとしても、出来の悪いロボット的な、AI的な発話という印象は否めない。それが外国人らしいとも言えるのだが。

 逆にいえば、それほど言語というものは、はなはだしく文化性に富み、その民族にとっておそろしく精緻で深いものだともいえる。とりわけ、英語と日本語とでは、その語彙も語順も含めた統語論でも、さらに文化性としても全く類似性がないほどにかけ離れている。これを完璧にマスターすることはほとんど不可能に近い*1

 本書は、日本語の発想に苦しみ(楽しみだったかもしれないが)、日本語を懸命に学び、また日本人に英語を教えてきたマーク・ピーターセン氏だからこそ、書ける内容だと感じた。

 本書のうしろのほうで、「人生の淋しい一時期」という小見出しの箇所がこの辺のことを物語っている。

 日本人が英語を身につけようとするとき、ピンとこない概念や馴染みのない構造、つかみきれない意味合い、不自然な感覚など、いろんな問題にぶつかる。これらは皆、英語圏の人間が日本語を身につけようとするときの問題の鏡像にすぎない。向きは逆だが、互いに対称をなしているのである。

 たとえば、日本育ちではない私のようなものにとって、文法や語彙を多少覚えても、来日して日本語を"social language"として使おうとすると、まるで子供に戻ったような気がする。当然、日本語らしい発想や日本的なこだわりが自分にはないことが大きな障害となり、日本人と会話するたびに、相手に必ず違和感を感じさせてしまう。一時期は、人生が淋しいものになるのである。

 これは慣れの問題で、日本に来てすぐの頃が一番極端である。ごく普通の会話、たとえば「今日は、わざわざ遠いところまで、ありがとうございます。朝早くから大変だったでしょう」と言われて、「いや、そんなことありません」という程度の常識的な挨拶をすべきなのに、「はい、そうでした。ゆうべとても遅く寝たのですから」などと言ってしまう。そう答えてしまった外国人には、率直な答えがその場の雰囲気を打ちとけたものにするだろうという咄嗟の判断があったわけだが、こうなると、変な顔をされても仕方がない。しかし、相手の表情が変わった瞬間、「ああ、また失敗したな」と思っても、その場で何がいけなかったかを日本語で訊き返す余裕もない。

  (「心にとどく英語」p.171-p.172)

 本書では、言語材料として、映画から例文をとっている。

 たとえば、「ローマの休日*2、リックがイルザに「究極の侮蔑ことば」(ピーターセン)を投げかける「カサブランカ」「雨に唄えば」「卒業」*3「トップハット」「マルタの鷹」"...make him an offer he can't refuse"という「凄みのきいた名セリフ」の「ゴッドファーザー」…。

 数はすくないが小津安二郎の「秋刀魚の味」など、日本映画からの会話も素材として使われている。

 一言でいえば、レトリックということになるのだろう。

 メッセージはなんとか伝えられるロボット的・AI 的表現をのりこえて、それこそ表題にあるように「心にとどく英語」をめざすには、何が必要かというのが本書のメッセージだ。とりわけ、私たちは人間であり、ロボットではない。会話も関心事によってすれ違うこともある生身の人間。そうした人と人とのコミュニケーションはどうあるべきか。人間関係に気を配りつつ、相手に迫るにはどういう表現技法をとるべきか、本書にはそうしたヒント*4がいっぱいだ。

 したがって、それは、語彙に始まり、仮定法などの文法から、表現技法から、論法から、さまざまな技術が盛り込まれている。だから、本書は、コンテンツに終わりがないかのように、最後はブツッと切れる感じで終わっている。「あとがき」も「謝辞」だけが記載されている淡白さ。まさに言葉の学びに終わりはないという象徴的な結びとなっている。

 「外国語習得は幼な子の心で」と著者は強調する。

 ということで、本書は、英語学習の中上級者におすすめの一冊となっている。と同時に、くり返しになるけれど、母語というものが、いかに文化性に富み、その民族にとって精緻で深いものなのかという証明にもなっている。

 

 以上で、紹介は終わりとなるが、本書の中から、自分が面白いと感じた英語表現を、以下、資料的に掲載しておく。本文には訳も説明もついているが、本書をまだ読んでいない方は、一読して、そのニュアンスが味わえるか、挑戦してみてほしい。

Kiyomizudera was all but overflowing with tourists.

The telephone poles have been tilted so far by the typhoon that they are all but toppled over.

(p.39)

 How can I go to the station from here?

という表現は、日本語の感覚では「普通の言い方」に思えるかもしれないが、英語としては、この表現はおかしい。質問自体のポイントは「ここから駅までのプロセスそのもの」だから、英語としては当然、

 How can I get to the station from here?

と言うべきである。

(p.49)

 Careful! Don't spill the wine on me!

という、文脈のない、単独のセンテンスがある場合、受け止め方は二通りある。つまり、「気をつけろ!ぼくにワインをこぼすな!」か、「気をつけろ!ワインをこぼされたら困るんだ!」のどちらでもあり得るのである。

(p.57)

 Huh! Whadya know! You're well-read, well-dressed...snoozing away in a public street. Would you care to make a statement?(引用者注:映画「ローマの休日」のジョーのセリフから)

(略)実はこの"away"は、「まわりを全然気にせず、平気でやっている」という雰囲気を動詞に添える副詞なのである。

 (略)"The students talked away during the earnest professor's lecture"

 (略)"Nero fiddled away while Rome burned"

 (略)こうした"~on~"と"~away"の使い方に「なじみがない」ということは、もったいないことである。たとえて言えば、日本語を学習して和文を作るアメリカ人が、「壊す」は知っているが、「取り壊す」は知らない、「やめる」は知っているが、「取りやめる」は知らない、というのと同じように、表現力が限られてしまう。

(p.59-p.60)

Well, most girls I've know have tried to crowd me...except you. I need a little crowding from you. (引用者注:映画「グリーンカード」(1990年)から)

(略)

Don't crowd me. I'll decide for myself.

(p.60-p.61)

She’s the blond in the blue-sequined dress---extremely rich, very married, eminently corruptible, and a willing infidel! (引用者注:映画 "Dirty Rotten Scoundrels" (1988)から)

(略)

Aren't you still married?  Very much so.

(略)

Phil and I are still very much together.

(p.62-p.63)

A: I should have bought Microsoft stock back then when it was cheap.

B: Well, like they say, "Time and tide wait for no man."

B: That's too true

(略)

His ablibi is too perfect

(略)

He's a nice guy, I guess, but he's too perfect

(p.64-p.64)

Can we talk about something other than Hollywood for a change? We're educated people.

(略)

I'll pay the NHK 'reception fee' from now on

We will be starting the movie from now on. (×)→We will be starting the movie now. (〇)

(p.67-p.69)

One feels it might not be an inappropriate idea to accept the job.

(略)

I guess babies love you "automatically," don't they?(引用者注:映画「キャバレー」から)

(略)

How extravagant you are, throwing away women like that. Someday they may be scarce.

(略)(引用者注:映画「カサブランカ」から)

Well, when it comes to women, you're a true democrat. (引用者注:映画「カサブランカ」から)

(p.93-p.98)

I think this is getting too personal. I don't think I'm ready to share this with you...(引用者注:映画 "Groundhog Day"から)

(略)

Come on, you can confide in me.

(p.102-p.104)

You're the first...you're the first thing for so long that I've liked, the first person I could stand to be with. (引用者注:映画「卒業」から)

(略)

Was she married or something?(引用者注:映画「卒業」から)

(略)

What do you think I am---dumb or something?!

Why don't you go take a walk or something?!

Have you been drinking or something?!

(p.106-p.112)

 repartee という英語がある。これは「当意即妙の応答」や「軽妙な即答」、「機知に富んだ会話」などと定義され、マーク・トウェインは、reparteeを、

 Something we think of twenty-four hours too late(いつも24時間くらい遅れて思いつくもの)と定義づけたそうである。

 (引用者注:アイルランド出身の劇作家・詩人・小説家のオスカー・ワイルドを紹介して)

 …税関吏に、

 Do you have anything to declare?(訳略)

 と訊かれたワイルドは、

 I have nothing to declare but my genius.(訳略)

 と答えたそうである。

(p.113-p.114)

What do you want me to do---invite him in for cocktails?(訳略)

(略)

What was I supposed to do? Kiss his hand and thank him for being so careful with the company's money?(訳略)

(略)

Walter : But this particular writer that you met was murdered last night in back of the Rialto Theater in Pasadena.(訳略)

Griffin : Murdered?(訳略)

Walter : Well, come to think of it, Pasadena's as good a place to die as any. (訳略)

(略)

What of it. I'm going to die in Casablanca---it's a good spot for it.(訳略)

(p.122-p.123)

Well, what's "the verdict"? OK?(引用者注:映画「ローマの休日」から)(訳略)

Nothing to it.(訳略)

(p.124-p.125)

She offered me another glass of wine.(訳略)

(略)

As we were walking along the snowy street, I offered her my arm, and she took it!(訳略)

(略)

He offered to marry her.   cf. He asked her to marry him.

(p.131-p.134)

Convince me---tell me every last detail. (訳略)

(略)

...a man can't change what he is. He can convince anyone he's someone else, but never himself. (訳略)

(略)

He is convinced that his singing voices is a lot like Elvis's.(訳略)

(略)

He is convinced that his wife will come back to him. (訳略)

(略)

She is unconvinced of the wisdom of going back to her husband.(訳略)

(略)

He's convinced she would never betray their friendship. (訳略)   cf. He believes she would never betray his friendship.(訳略)

(p.135-p.138)

Okay, okay, I get the point.(訳略)

(略)

Get to the point!(訳略)

(略)

Let me get right to the point. I'm smarter than you, and I'm going to find out what I want to know, Verbal, and I'm going to get it from you whether you like it or not.(訳略)

(p.141)

I felt a hint of spring in the air this morning.(訳略)

(略)

Our teacher spoke with a hint of irritation.(訳略)

(略)

He hinted to her that he'd like a digital camera as his birthday present this year.(訳略)

(略)

Just what are you hinting at?(訳略)

(略)

What's the matter with those two? Can't they take a hint?(訳略)

(略)

”Donny "! What's the matter with that girl---can't she take a gentle hint?(訳略)

(略)

His absence was an obvious hint that he had lost interest in the project.(訳略)

(略)

Okay, we can take a hint---I guess it's about time for us to get back home, isn't it?(訳略)

(略)

What're you...?!? Look, I can take a hint!...I'll see you around.(訳略) (引用者注:映画「ローマの休日」から

(略)

When she started staring intently at the empty wine bottle, he took the hint and ordered another.(訳略)

(p.145-p.151)

For God's sake, I wish you could hear yourself sometimes. I mean really hear yourself! Christ! Aren't you ever going to stop deluding yourself? Hmmm? "Handling Max"! Behaving like some ludicrous little under-age femme fatale! (訳略)

(p.156)

Yes, that's very pretty, I heard a story once. As a matter of fact, I've heard a lot of stories in my time. They went along with the sound of a tinny piano playing in the parlor downstairs. "Mister, I met a man once when I was a kid," it always begins.(引用者注:映画「カサブランカ」から)

(略)

Huh, I guess neither one of our stories was very funny. Tell me, who was it you left me for? Was it Lazlo, or were there others in between? Or aren't you the kind that tells? (引用者注:映画「カサブランカ」から)

(略)言っている意味は「whore には大体タイプが二つある。客のことを喋るタイプと喋らないタイプだ。きみはwhore とはいってもどっちのタイプ?(We know you are a whore, but what kind of whore are you?)」であり、英語の伝統では、女性に対する究極の侮辱と言える。

(p.159-p.161)

 小津安二郎の「秋刀魚の味」(1962)*5の字幕スーパーの話は本書をしめくくるデザートとして秀逸だが、引用はやめにする。

 本書を、英語学習の中上級者に是非ともすすめたい。

*1:梅棹氏は、「日本人にとって、英語というのは習熟することがまず不可能な言語であると考えたほうがいい」と断言されている。「日本語と英語とは類型的に違った言語」なので、「それに習熟するとなると、よほどの覚悟と、努力と、そして何よりもそれを必要とするじょうきょうが要ると思う。ところが、いかに英語が世界語であることを観念では理解しても、今日の日本には、実際にそれに習熟しなければならんという状況は、全然ないと思う。日本は、インドなんかとちがって、英語に習熟しなくても十分暮らせるんですから。だから、多数の日本人が日本にいて英語に習熟するという状態を実現することは、あきらめたほうがいい」と梅棹氏は強調されている。「地球時代の人類学」を読んだ - amamuの日記

*2:ウィリアム・ワイラー監督「ローマの休日」という素晴らしい映画の台本を書いたトランボの映画も必見である。映画「トランボ」を観てきた - amamuの日記

*3:かけだし英語教師の頃に映画「卒業」は台本おこしに挑戦して完成させた経験がある。映画"The Graduate" (1967) の台本おこしに挑戦した - amamuの日記

*4:hintについても語彙としての説明があり、資料として例文を後述する。

*5:小津安二郎監督の「秋刀魚の味」(1962年)を観た - amamuの日記