「離」の段階の人間から「お前は今まで何をしてきたのか」と問われた気がした

 型を守る段階の「守」、その「守」を破る段階の「破」、やってもやらなくても同じになる段階の「離」。「守」「破」「離」という道筋が何事にもあると思うが、デビッド・クロスビーは、文句なしに「離」だ。ギターも軽く持っている。
 それに比べると、私の英語の重たいこと。まだ「守」の段階だ。なにごとでも、「離」の段階の人間に出会うと、自分は今まで何を生きてきたのかという感じに思えてしまう。ギターを弾いても弾かなくても迫力のあるデビッド・クロスビーは、何かを越えた顔をしている。笑い顔にも迫力があり、ギターも歌も軽い。エレキ編でも、片意地を張って、俺はエレキを頑張って弾いているという感じがなく、軽く軽く、けれども、ものすごい音楽をやっていた。
 アンコール後の、"Long Time Gone"の迫力は、全力。初めて気を張っての全力だった。その迫力に圧倒され、まさに「お前は今まで何をしてきたのか」と問われた気がした。
 コンサートは、11時45分に終わり、もう1曲と客はアンコールをしていたが、私にとってはもう十分だったので、拍手もせずに待っていたが、さすがにクロスビーは出てこなかった。
 帰る道すがら、あれが同じ人間かと思い、40歳のクロスビーまで俺はあと13年。思うところの多いコンサートだった。