また女性だけのジャズバンドAliveをみる

 今日、Aliveを見た。女性だけのジャズバンドで、前に聞いたとき*1なかなか良かったので、またThe Great American Music Hallへ出かけることにした。6.0ドル。

 今日は、ライブレコーディングという触れ込みだったので、充実した演奏を期待したが、ライブレコーディングという設定が良くなかった。生放送でラジオに流れているらしく、おそらくそのせいでプレッシャーがかかり、緊張してしまって、まとめようまとめようという気持ちが強く、結果としてまとまらない様子が見てとれた。技術は上手なのだが、ただ弾いているだけ(just playing)という感じ。「破」の段階か。客も少なく、一生懸命拍手をすると、その分よくない。曲の合間の喋りも少なく、手のかじかんだドラム、伸びのないボーカルのコンサートが終了した。
 「守」の段階は言うに及ばないが、お金を取れる人でも結構「破」の段階の人が多い。「心がない」と言うのか、「一通り」というのか「一応」弾ける段階。Aliveというバンドは、「離」に近い良い演奏をする時はするのだが、それでも今日は「破」の段階の演奏しかできなかったように思う。厳しく言えば、修行が足りない。良くいえば、人間とは情的な存在と言える。何故か。気取った授業参観のようなコンサートであったからだ。生徒というものは「いつもの先生と違う」と簡単にわかるものだ。
 休憩のあとのコンサートは、ライブレコーディングでなくなったのか、実にいいコンサートで、声は伸びるし、演奏もがっちりまとまっていた。ドラムス、パーカッション、ベース、ピアノのリズムが合うと、前にのめってくるような迫力があり、リズムの塊と化す。そこに伸びるボーカルが乗ると、これはもう何とも言えない。客もそれがわかるので、立って拍手をする。本当にのった演奏となった。
 緊張が悪循環を生み出し、悪い循環は悪い方へ悪い方へ進んでいく。うまく行くと、その分、演奏者も乗って、いい方向へと循環する。「守」でも「破」でも「離」でも、どんな段階でも、ベストを尽くすと、案外人を惹きつける力となる。逆に、力を出し切れないと、見ている方は疲れるものだ。
 教師も非力は非力なりにベストを尽くすこと。これが大事。非力でもその時点でのベストを尽くさないと、生徒にはすぐ見抜かれてしまう。それでは生徒からみて気持ちのいいはずがない。演奏者でも教師でも、まずやっている本人が楽しみながらやらなければ見ているほうが疲れるという見本のようなコンサートだった。
 さて大旅行だが、サンフランシスコを2月18日に立つ予定だ。

*1:1981年12月3日。