アイザック・スターンの映画

 今日も映画館Strandに行く。
 今日の出し物は、”From Mao to Mozart Isaac Stern in China”*1という映画。もう1本の"Allegro Non Troppo"*2も、クラッシック入門というべきイメージフィルムで大変良かったが、アイザック・スターンの映画もとても良かった。
 ヴァイオリニストのアイザック・スターンが、1979年に中国に行くドキュメンタリーなのだが、西洋音楽に対して、中国では、1949年、考え方に二派あったようだ。ひとつは、伝統音楽一本やりの派と、もうひとつは、西洋からも学んで伝統音楽もやるという派。1966年の文化大革命(New Cultural Revolution)のときに、西洋音楽は全部ダメだという弾圧があり、今日を迎えるという状況のもと、アイザック・スターンが1979年に中国に行くことになるので、彼が鎖国の中の西洋音楽の使者のような位置となる。
 まずアイザック・スターンだが、少し太り気味の、実にいいおじいさんです。完全に「離」の段階。彼の持つヴァイオリンの軽いこと、軽いこと。アイザック・スターンいわく、「音楽にとって大事なのは楽器ではない。楽器は、目的のための手段である」「自然に声を出すように、自分が言いたいように、心の中で思っていることをそのままヴァイオリンに語らせなさい」「どうして心の中、頭の中では、いい音楽を持っているのに、そのまま、楽器のここに(ヴァイオリンのネックの指板をを指しながら)語らせないのか」「音楽は言葉よりも喋る」「音楽は黒白はっきり分けるものではない。いろいろな音がある。ペイントで出せない色も音楽なら出せる」と、有段者の格言を、笑みを浮かべながら述べる。アイザック・スターンが指導すると、中国の子どもたちはそれに素直に反応し、実にいい音を出すようになる。普通はこうはいかないのだろうが、中国の子どもたちも選抜され力量のある子どもたちだから、そうなるのだろう。
 中国の子どもたちは、7歳から10歳くらいのエリートで、はにかみ屋さんが多いが、訓練され、鍛えられている。彼らはアイザックに指導されると、途端にいい音を出す。指導がすっと入って実に気持ちがいい。アイザック・スターンは言う。「7、8、9、10歳の子どもは実にすばらしい能力を持っているのに、17歳、18歳の子にそれが見られない。それは何故なのか」と。17歳、18歳の中国の子は、classical musicというと、早くてむずかしいフレーズをきちんと弾けることだと思っている。そういう時代に育っている。また、文化大革命のときは、西洋音楽は敵視された。いまの6歳から11歳の子にはそれがない。つまり、17歳、18歳の子は、技術的にはうまいが、ハートがなく、格好だけだと。
 教育は大事である。このことを強調しすぎることはない。そして、教育者自身が教育されなければならない。中国を見ていると、日本はどうなるのかと不安になる。中国は、卓球や体操、格闘技など、体育教育に、そして音楽教育に素晴らしいものを持っている。とりわけ考え方が素晴らしい。音楽教育や体育教育の課題を認め、前進をめざして、子どもたちに夢を託し、良いものを与えるべきという気持ちにさせられる映画であった。