とにかく英語のちからをつけないといけない

 英語学習における英語の語彙数を考えてみる。

 以下は、あくまでも、仮の数字である。

 日本人高校3年生なら、3000語。

 日本人大学1年生・2年生なら、3000語から5000語。

 日本人大学3年生・4年生なら、5000語から7000語。

 日本人大学4年生・社会人なら、7000語から1万2000語。

 社会人なら、1万から1万5000語としよう。

 

 これがアメリカ人ならどうか。

 こちらももちろん仮の数字である。

 小学校1年生で、3000語。

 中学1年生で、9000語。

 大学1年生で1万5000語。

 もちろん、これは、input の面でも、output の面でも、日本人学習者とくらべてみたときに、比べものにならないほど、理解は深く、体系的・構造的な認識となっていることだろう。

 日本人学習者の場合、認知ができたとしても、working vocabularyとしては、きわめて小さなものにならざるをえない。

 そうしたことを前提にして、自分の力は、アメリカ人と比べるなら、控えめに言って、中学1年・中学2年生というところか。

 中学1年生・中学2年生で音楽評論ができるか。否である。

 今日、東京は芝のアメリカンセンターで、Dick Cavett Show で John Irving やWilliam Saroyan などの小説家とのインタビューを観たのだが、よくわからないところがある。何故か。それは、こうした小説家の小説を読んでいないからだ。総合的な知識がないのである。

 かけだし英語教師となって3年間、それなりに一生懸命やってきて、中学生レベルである。

 対策としては以下のようなものが考えられる。

 教科書というようなものがあれば読破する。

 百科事典など、アメリカ人であれば常識として知っていることを学ばなければならない。

 アメリカの雑誌を読む。

 音楽評論家になるには、力をつける。

 中学生の力を自覚し、さしあたり、大学入学をめざす。

 さらに大学卒業をめざす。(10年間はかかるだろう)

 読んで読んで読みまくる。

 聞いて聞いて聞きまくる。

 理論武装する。

 英語の絶対的なちからをつける。

 ポップソングを深める。