戦略をもって多種多様な外国語教育を

 むしろ日本の言語環境を基本条件に、言語戦略と戦術を考えさせながら、多種多様な外国語を学ぶ生徒を増やす必要があるように思う。
英語を学ぶのであっても、大国主義的アジア蔑視、植民地根性的な白人崇拝意識を変えていく必要がある。
 そのためには、中途半端な英語教育を小学生でやらせるよりも、むしろ、中学・高校・大学の外国語教育を充実させるべきだろう。
 まず第一に、中学・高校の英語教師を、世界の英語圏で研修させて、英語圏の各国の文化をより深く研究させることが必要だ。*1
 というのも、そもそも、外国語の教師だって、海外体験の少ない外国語教師が多いのではないか。外国語担当の教師がもっと海外での研鑽を積んで、外国語を学ぶということがどういうことなのか、さらに深く知る必要があると思うからだ。
 第二に、外国語教育において母語話者を雇用するのは、必要なことなのだが、ただ単に英語が母語というだけでは、資格が甘すぎる。教養もあり、教育力量もある英語の母語話者を雇用することが重要だ*2
 第三に、外国語は、英語に限定せず、選択制にすべきである。
 コトバというものはやっかいなもので、単純であると同時に、深いものである。その設定目標にもよるのだが、簡単に身につくものではない。数ある外国語の中で、ライフワークにすべき外国語は、その当事者に選択させるべきだ。そして、いったん選ばせたら、学習条件を整えてあげないといけない。ひとつの外国語を全員一律に押しつけるのは、精神衛生上もよくない。

*1:派遣先は、アメリカ合州国だけでなく、イングランドスコットランドウェールズアイルランド、オーストラリア、ニュージーランド、カナダと広範囲に研究すべきであるし、現地語との言語戦争は基礎教養としておさえておく必要もあるだろう。

*2:英語の母語話者でも、その教育的力量には雲泥の差があるということは、母語話者教員を現場で観察している小学校教員に聞いてみれば簡単にわかることだ。