むしろ日本の言語環境を基本条件に、言語戦略と戦術を考えさせながら、多種多様な外国語を学ぶ生徒を増やす必要があるように思う。
英語を学ぶのであっても、大国主義的アジア蔑視、植民地根性的な白人崇拝意識を変えていく必要がある。
そのためには、中途半端な英語教育を小学生でやらせるよりも、むしろ、中学・高校・大学の外国語教育を充実させるべきだろう。
まず第一に、中学・高校の英語教師を、世界の英語圏で研修させて、英語圏の各国の文化をより深く研究させることが必要だ。*1
というのも、そもそも、外国語の教師だって、海外体験の少ない外国語教師が多いのではないか。外国語担当の教師がもっと海外での研鑽を積んで、外国語を学ぶということがどういうことなのか、さらに深く知る必要があると思うからだ。
第二に、外国語教育において母語話者を雇用するのは、必要なことなのだが、ただ単に英語が母語というだけでは、資格が甘すぎる。教養もあり、教育力量もある英語の母語話者を雇用することが重要だ*2。
第三に、外国語は、英語に限定せず、選択制にすべきである。
コトバというものはやっかいなもので、単純であると同時に、深いものである。その設定目標にもよるのだが、簡単に身につくものではない。数ある外国語の中で、ライフワークにすべき外国語は、その当事者に選択させるべきだ。そして、いったん選ばせたら、学習条件を整えてあげないといけない。ひとつの外国語を全員一律に押しつけるのは、精神衛生上もよくない。