これも何回も書いているように、私が昨年研修してきたアオテアロア・ニュージーランドのマオリは、例外なく英語を話す。それは、学校で英語を押しつけられ、マオリ語が弾圧された結果だ。
植民地教育の中で、支配者の言語を話させた例は世界にたくさんある。
第二次世界大戦中に、たとえば、韓国、台湾、シンガポールに日本語を押しつけたことを私たちは忘れてはいけない。
皮肉をこめて冗談でいえば、生徒全員に英語を話させるようにしたいのなら、日本語を弾圧すればいい。学校で日本語を話すことを禁じればいい。極論と言われるだろうが、日本語を話した生徒に、ムチで叩いたり、「方言札」をつけて、体罰を与えればいい。
もちろん、小学校での英語教育導入論者たちは、こうしたことを考えているわけではない。けれども、異文化理解とか、外国語学習を、あまりにも素朴に考え過ぎてやしないだろうか。
「今の時代、英語くらいは身につけておかないとね」という大人がよくいるけれど、そういう大人は英語を身につけているのだろうか。自分でやりもしないで、子どもに押しつけるのは、いかがなものか。大体それでは、子どもの意識にどういう変化が起こるのか、理解もできまい。
事実、横浜市の小学校の先生方だって、自分が専門でもないことを生徒に押しつけることになってしまうだろう*1。
*1:うちの職場でも、たとえば数学の女性の教員で英語の上手な人がいたり、理科の教員で韓国語を話すもの、社会科の教員で中国語ができるものがいる。もちろん、小学校の先生で、英語が話せる人もいるだろう。ここではあくまでも一般論で言っている。