ルノワールはレノワーと発音する

 街を歩く。白人の娘、黒人の娘とすれ違う。眼をそらさない。たまに先方がニコっと笑ってくれる。私もそれに応える。ヤンキー娘の話に閉口することもあるが、こちらからもよく話しかける。ロダンの肉感的なsculptureやルノワールなどを見たあとは、若い娘や少女が美しさが引き立って見えることがある。
 ロダンは人間の生を見事にとらえている。良いも悪いも、人間というものを。人間の肉体そのものを。肉体の大切さを教えられた気がする。
 美術館内で、アメリカの若い娘さんにルノワールの発音を聞く。「レノワー」だという。「お好きですか」と聞かれる。「いいですね」と答える。
 絵葉書を買いに行って、ルノワールを買う。お金を払って出ると、店員に「絵葉書を忘れてますよ」と言われてしまう。慌てて戻ると、アメリカ娘の店員が笑っている。今年で27歳。自意識過剰でない年代になったのかもしれない。
 ワシントンDCはまた来たい。何もないコロラド州ニューメキシコ州ネバダ州も、自動車で再訪してみたい。
 42歳くらいになったら評論を始めてみたいが、俺には無理かもしれない。
 戦前は鬼畜米英で、戦後は盲目的なアメリカに対する愛。これはどう考えてもおかしい。批判的な精神で、アメリカを見る必要がある。Americanizeにストップはかけられないし、かけることも無意味だろう。何を学び、何を否定するかだ。
 外国旅行も病みつきになりそうだ。俺にはまだ子どもはいないが、将来、子どもと来るのもいいだろう。