旅人の目線は交通手段によって違う

 百聞は一見にしかず。
 古人はうまいことを言うものだ。
 スコットマッケンジーの”If you’re going to San Francisco, be sure to wear some flowers in your hair. “という唄も歌詞も知っていたが、San Franciscoに住んでみて理解した。Nevadaの雰囲気、Reno、Las Vegas, Grand Canyon, Monument Valley, Albuquerque, New York, Boston, Chicago。
Neil Youngの最近の歌で、Motor Cityという曲でDetroitも歌われていた。自動車産業の工員の失業率はいまアメリカでは楽に20%を超えている。全体の失業者の率も8.8%ということで、これも凄い数字だ。
 今回の旅行はまだ終わっていないが、大雑把な地理的感覚がつかめただけでも、自分にとっては大きな意味がある。今回の旅行は車もなく、いろいろと小回りが効かないという意味で不便なことも多く、飛行機も使わなかったので、それぞれの都市での滞在が短いという欠点もあったが、それも一回目の旅行としては良しとしたい。
 英語もあまりできない時期の、若い時期の旅行としては良かったのではないか。
 New Yorkはおそらく住まなければ良さはわからないし、住んでみたいと思う。大西部はもう少し経ってから、今度は車で挑戦すればいい。今回の旅行は、地を這うようにバスを利用したため、眼の位置が低く、多分、経済的な底辺層の目線に近く、そういう類の旅行だった。
 自動車があれば、白人の白い世界。最近は、車に乗り降りのときを狙った犯罪が起こっているが、自動車でグローサリーストア、銀行などに行ければ、それなりに安全である。
 飛行機で旅行するのか、自動車で旅行するのか、バスで旅行するのか、交通手段の違いで、ガラッと目線が違ってしまう。これは当然、物の見方、考え方に、大袈裟に言えば、哲学に影響を与える。旅行者のアメリカ観にも影響を与えるだろう。
バス旅行は人の世話になることが多い。先に書いた風邪引きの運転手もくしゃみを終始しながら俺をオマハからデンバーまで運んでくれた。感謝に耐えない。バスディーポで会う日本人にも必ず話しかけ、時間のある時は、コンピュータの話、オーディオの話等を聞く。とても勉強になる。何でも自分でやるという意固地なところは少し取れ、人から謙虚に学ぶ柔軟性が出てきたというところか。交流とはコミュニケーションであり、これなくしては、人間も井の中の蛙である。可愛い子には旅をさせよとはよく言ったものである。世の中には良い人も多いが、悪い人も多いということを学ぶことができる。