昨年おこなった研修報告を書いた

 以下の稚拙な文章は、「海外見聞・研修記」として、1981年9月24日〜12月18日の研修報告として書いたものである。
 当時の私の一面的な認識も含めて理解するために、当時の表現を尊重し、校正はテニヲハ程度にとどめた。
 たとえば「母語(ぼご)」と書くべきところを「母国語」と書いているが、当時はまだ「ことばと国家」(田中克彦)「を読んでいなかったために「母語」という言葉自体を知らなかった。
 また、異文化理解の差異を説明するところで「論理」という語彙をやたらと用いているが、これは整理不十分なものを「論理」という言葉を使ってごまかしているといえる。「論理」というより、「気持ち」や「gameの仕方」「発想」「発想の仕方」くらいが適切であった。当時の私の認識が感覚的な認識であったことは否めない。
 また「生理的な障害」という表現には人権意識に欠けるところがある。たとえ「生理的な障害」があったとしても、補聴器などの機器による補助、また手話などの他の「言語」による交流は成立するという意味で正しい表現とはいえない。