クライストチャーチ美術館で五月祭の絵画を見る

 昨年できたと言われているクライストチャーチ美術館(the Christchurch Art Gallery)に行ってみた。この素晴らしい美術館も無料である。この近代的な美術館では、遠足の子供たちが床にすわって、自分達の見た絵画の絵を描いている。アンディ=ウォーホールが描いた毛沢東やローカルな絵画も多く、充実している。私としては、五月祭(May Day)をあらわした絵が興味深かった。
 メーデー(May Day)といえば、近現代史の中では、いわゆる8時間労働をアピールした労働者の世界的な祭典であり、日本でもメーデーといえば、労働者が団結するためのデモ行進のある5月1日と決まっている。しかし、このメーデーというのは実はそれ以前の歴史がかなり古く、ケルトの暦によればメーデーが夏の始まりだったのである。つまり、一年を二つに分け、11月1日が冬の始まりであったのに対して、5月1日は夏の始まりであったのだ。それで、5月1日の前日には、若い男女が森に入り、青春を謳歌していた。五月祭というのは、ピューリタンからは忌み嫌われた異教徒による年中行事で、森を信仰とする一種の豊穣祭であった。先ほどの5月1日前夜の若い男女の交流についても、ピューリタンたちは難癖をつけ始めた経緯がある。森から力をもらうというのはドルイド信仰的な考え方であり、現代でも、森から取ってきた木々を丸い輪のリースにしてドアに飾るとか、クリスマスツリーも現在ではキリスト教文化としてポピュラーだが、そもそもはドルイド教的な文化であったようだ。森から力をもらうということでは、メイポールという柱を広場に立てて、そのてっぺんにリボンをつけ、子どもたちがそのリボンの端を持ってまわり、柱自体にリボンをまきつけたりしたのである。このメイポールなどは男根象徴という説もあるくらいで、そもそも豊穣祭だからと私などは妙に納得してしまうのであるが、このクライストチャーチ美術館で見た五月祭(May Day)の絵の背景には、このメイポールが小さく描かれ、メイポールにつけられたリボンを子どもたちが持って回っている様子が描かれていた。そうしたメイポールダンスを背景にして、一人の男が描かれている。いつの日か私もイングランドに行って、実際この五月祭とやらを見てみたいものだ。