「教育」(education), 「観察」「研究」(study)と「詰め込み」(cramming)

 地理にあたるのだと思うが、ジェフのクラスは、女子が7人、男子が9人で、全部で16人の学生の授業だった。
 「気温」「雨量」「年間雨量」「温度範囲」「湿度」などの基本的な資料を与えて、基礎的な学習をさせ、それを総合化させる授業だ。
 生徒がたったの16人だから、教師が全員を把握している。
 質疑もやりやすい。
 途中、私語に夢中になるときもあるが、教師の注意ですぐに集中が戻る。質疑を中心に授業をすすめ、肝心なところで、講義に入るというやり方だ。
 日本人の女子高校生が一人いた。ジェフの話だと、6ヶ月前は、英語がまるでダメだったけれど、今はなんとかなっているという*1
 こうしたうらやましい授業ができるのは、やはりクラス人数という条件と、教育に対する考え方が、生徒の要求にもとづいて、生徒の力を引き出すという基本的な考え方によるものだろう。
 英語のeducation(教育)は、educate(もともとある力を引き出す)ということから作られたコトバだし、英語のstudyも「観察する」「研究する」という含意が基本的だ。
 日本の「詰め込む」というのは、crammingといって、educationとも、studyとも、まるで無縁な別世界の概念である。

*1:英語を初めとして外国語を話す言語環境がないということが日本における外国語学習を難しくしている。英語でブログを書き始めるという私のアイデアを紹介した日記を参照のこと。