田尻悟郎さんの「(英語)授業改革論」を読んだ

(英語)授業改革論

 英語教師・田尻悟郎先生は、実践家として有名な先生である。
 以前、同僚の若手英語教師に薦められていた「(英語)授業改革論」を、今回ようやく読んだ。

 田尻先生は、言う。

 「改めて考えてみよう。教師が説明をたくさんすればするほど、生徒は理解を深め、英語ができるようになるだろうか?」


 この問いに対する、田尻先生の答えは、「そうは思えない」と明快だ。
 田尻先生は、続ける。

 このことは、スポーツの指導で考えると分かりやすい。たとえば野球部でバントのやり方を教えるとする。その時、「バットはこう持って、目の高さはここ、ベースから何センチ離れた位置に立って、ピッチャーの動作をよく見て、こう構えて、このタイミングでバットを出してボールに当てる。これがバントの基本やで」とホワイトボードを使って説明すれば、生徒はバントが上手にできるようになるだろうか。「分かった? なに、分からん? じゃあ、もう1回説明するぞ」と言って全員が分かったというまで説明を繰り返せば、生徒はバントが上手くなるのか。


 「そんなことは絶対にないだろう」というのが、田尻悟郎先生の答えだ。


 それで、これは、たいへん説得力のある話なのだが、私も含めて現場の教師が、では実践できているかといえば、十全にできていないと自白する教師がほとんどではないだろうか。これはまるで落語である。けれども、落語で済ませては、授業を受ける生徒が可哀そうだ。

 田尻先生が目指してきたものは、teacher-centeredの授業ではなく、student-centeredの授業である。
 

 結局、授業って教師がどれぐらいしゃべりたいのを我慢するかですよね


 これは、「おそらく、これが一番大きなインパクトを受けた言葉だったと思う」と、田尻先生に思わせた島根大学築道(ついどう)研究室での一連の勉強会での築道先生の言葉であったという。

 では、「授業中、教師は何のためにそこにいるのか。教師の授業中の仕事とはなんだろうか」という問いに対する田尻先生の解答は次の3つである。

 それは間違いを見つけること、ヒントやアドバイスを与えること、待つこと、の3つである


 これらは、「自主性を身につける」「自律的な学習者を育てる」ために必要な3つでもあるという。
 それで、田尻先生に言わせると、この「3つの中で一番難しく、一番大切なのは最後の『待つ』ことである」という。
 いわゆる教え過ぎのことを言っているのだと思うが、教師にとって「説明するほうが楽」である。教えた気になってしまう。「しかし、教えられたことは残らない」。自分で「気がついたことはなかなか忘れない」ということは、誰もが体験上身に染みて身体でわかっているはずだ。なのに、待つことができない。
 「生徒が気がつくように見えないレールを敷いてやるのが教師の務めだと思う」と田尻先生は言う。
 

 授業とは、生徒が成長する場であるということである。教師が教壇にでんと構えて、すべての生徒に対して一様に教科書の説明ばかりする「教師が主役」の授業ではいけない。私たち教師は、時には無視されたり「邪魔!」と言われるくらいに、脇役に徹するべきである。授業の主役は教師ではない。生徒なのだから。

 この田尻先生の直言は、私には実に耳が痛い。
 私の場合、「長年苦労してきたから、そこそこ俺は英語を知ってるぞ」「どうだ、わかりやすい説明だろう」「俺の話を聞け」と、悦に入っていることがなんと多かったことか。主観的にはそうでない授業を漠然と考えていたけれど、客観的にいえば、「教師が主役」の授業がいかに多かったことか*1
 ああ、恥ずかしい。
 生徒たちに「伸長感、達成感、満足感」を感じさせる授業をめざしている田尻先生の姿勢に、私もふくめて、教師は学ばなければならない。
 
 「(英語)授業改革論」には、たいへんためになることがたくさん書かれている。

Definitionsなどは、英語教師なら、教材として、そして指導法として大変参考になるだろう。
 配布用カード*2に、ruler, paper, dictionaryなどの名詞が並んでいる。中学1年なら、これをペアワークで、一人がヒント(clue)を出し続けて、一人が答えさせるという活動をさせる。中学2年なら、接続詞whenを最低1回は使わせて英文で説明させる。中学3年では、まず関係代名詞を使わせて英文で説明させる。第2ヒント以降は自由に英文をつくってよい。英語教師でない方は何のことか、わからないだろうが、英語教師なら、わかってくれるだろう。

 他にも学ぶことがたくさんあった。
 英語教師には、いや教師には「(英語)授業改革論」を是非読んでほしい。
 

*1:これは自分が中学・高校のときに受けてきた授業の基本がteacher-centeredの授業である場合、student-centeredの授業に改革するためには、余程の意識改革・自覚化が必要であるという証左に他ならない。自分で言うのもなんだが、雑談も含めて、結構面白い話ができるから、生徒は聞いてくれる。が、この悪循環が恐ろしいということに、俺のような自己満足教師は気がつかない。とくに、この話芸という芸風が通じなくなったら、授業崩壊は眼の前にある。簡単に授業崩壊が待っていることになる。

*2:田尻悟郎「Talk and Talk Book 3」(正進社)から「便利に使えるアイテム集」として引用されている。