日本語の理解力が弱い最近の高校生

学力低下の実態

 この連休中に、父母が集まる集会に参加した。
 そこで学んだことは、やはり最近の高校生は、日本語の理解力が非常に弱いということである。
 この問題を私なりに考えてみたが、新学習指導要領の影響や、子どもたちの成育歴と関係があるのだろう。少子化による親の過干渉、その一方で、家庭での交流と暖かい会話の欠如、テレビゲームやテレビなどの影響、地域での自主的な遊びの衰退があげられる。一例をあげれば、一見退屈なテキスト(文章)を集中的に読み込んで、自分の想像力を働かせ、自ら能動的に理解するというような訓練が十分ではないのだと思う。映像も動画も、そしてそれが保護者であっても、自分の方から動かなくても、あちらからやってきてくれるから、自分の頭で考え創造するという機会を失わされて、自立の機会を奪われた薄っぺらな子どもが多くなってしまったようだ。
 読む作業や聞く作業というのは、受動的と思われているかもしれないが、実は、自分がそれまで獲得してきた力と照らし合わせながら、能動的に理解しているのである。その意味で、読む作業や聞く作業というものは、非常に能動的・積極的な作業であるのだが、今の子どもたちは、武器としうる手持ちの経験や体験がとても少ないようだ。与えられているものが多いのだが、アナログ的にゼロから、自分の発見や認識として深めた武器が少ない。情報はあふれているのだけれど、自分の興味のあることだけに限られ、一見退屈で興味のないことはやらない。それで抽象化能力が極めて弱い。高校段階で、さて自分でやってみてごらんと言われると、何をどうやっていいのかわからない子が多くなってしまったような印象がある。