寺島実郎氏の「主体的日本とは何か」

amamu2006-01-16

 日本総合研究所理事長の寺島実郎氏による「主体的日本とは何か」と題する主張が、朝日新聞の夕刊に掲載されていた。
 欧米社会でのパーティジョークで、沈没した客船の救命ボートで誰かが犠牲にならないと全員が死ぬという極限状況で、「紳士」というキーワードでイギリス人が、「ヒーロー」というキーワードでアメリカ人が海に飛び込んでいくという話が、その中で紹介されている。ドイツ人は、「ルール」というキーワードで納得し、日本人には、「皆さんそうしてますよ」と言うと、慌てて飛び込むという冗談だ。
 この話について「国民性をからかう笑い話なのだが、昨今、とても笑う気になれない」と寺島氏は書かれている。
 氏がそう嘆くのは、次のような理由からだ。少し長いが、引用する。
 「やがて歴史家が二一世紀初頭の日本を総括する時が来れば、9・11後のブッシュのアメリカのサブシステムとして生きることを安易に選択した悲しむべき時代と位置付けるであろう。ブッシュ大統領自身が、『間違った情報に基づく戦争だった』と認めたイラク戦争への加担について、この国の指導者には心を痛めた省察がない。
 何故、間違った情報に基づく戦争に巻き込まれ、この国の青年を海外派兵という形で危険に晒す状況に踏み込んだのか、為政者としての筋道だった誠実な思考が見えない」。
 氏は続けて、現在の日本の「軽薄さは日本の品格を失わせている」として、「この戦争を支持した日本のメディアの論説と知識人の発言を読み返し、その見解を支えた情報基盤の劣弱さと時代の空気に迎合するだけの世界観の浅さに慄然とさせられた」と述べ、「真摯な省察がなければ、こうした失敗は繰り返されるであろう」と警鐘を鳴らしている。
 こうした「貧困な判断が繰り返される事態の本質を突き詰めると、戦後六〇年を経てもなお、米国への過剰依存と過剰期待の中で思考停止の中にある日本という姿が見えてくる。
アメリカを通じてしか世界を見ない』という枠組みに埋没し、主体性を欠く日本に大使、アジアの心ある人々は失望を隠さない」と続け、「広く確かな情報基盤」の必要性と、「知的セクターの創造・強化」を訴え、「主体的思考」を日本は取り戻すべきだとしている。
 自由(“freedom”)のための戦いというのが合州国の戦争擁護の常套語句で、こうした常套語句を使ってブッシュ大統領が国民に呼びかけた際に、「これほど意味論的に錯乱している使い方もないものだ」と私は書いたが、さらに、「それでもと、あえて書くけれども、日本はこの程度の議論も報道もない。ブッシュ大統領のように、国内世論の批判に対する自己弁護的演説すらもない」と、12月19日のブログで続けた。「他国の軍隊が引き上げたら、その後から引き上げを決めるというのが今の日本政府の基本方針だ」、と。
 日本はいつからこんな情けない主体性のない国になってしまったのか。
 深いため息をつきながら、寺島氏の「主体的日本とは何か」を読んだ次第である。