論理的に通らないものを押しつけるために校長の権限を強化するのではないか

 昨日、一昨日と、東京都教育庁の話を書いたが、校長の権限を強化しようとすることは、現場が論理的に納得できるような状況にないことが実は多いということなのではないか。だから、校長に権限を与えて、論議も論理も抜きに、結論を押しつけざるをえないのではないか。だとすれば、押つけられる決定は、論理的に破綻したものが少なくないに違いない。
 日の丸・君が代だって、押しつけないと言って、実際は押しつけている。
 教師の自由を奪えば、子どもから自由が奪われてしまうことに帰着せざるをえない。
 日本社会がますます差別的な格差社会になることは必至だ。