「今春の東京都立高校の卒業式で、恩師たちが来賓として出席できない事態が相次いでいる」ようだ。「君が代」問題を背景に、「校長が来賓を選別したため」と朝日新聞が今朝の朝刊で伝えている。
その記事によると、『都立久留米高校では、04年春まで務めた前校長、渡部謙一さん(63)の招待が取り消された。 同校の全日制は今年度でなくなるため、3日の卒業式と閉課程式には歴代校長らが招待された。 渡部さんによると、今年1月末、現在の堂山勇校長から「出席しないでほしい」と電話で要請された』という。
その理由が素晴らしい。
『堂山校長は渡部さんに「都教委の方針に従わない者を呼ぶことが都議会で問題になった」と説明。渡部さんが市民団体の集会で講演し、朝日新聞の「私の視点」に寄稿したことが都教委で問題にされていると告げたという』。
ここまで読んで私は突然思い出した。このブログで、この元都立高校校長の寄稿について紹介したことを。
それは「渡部謙一氏という人物を私は知らないけれど」と断った上で、この都立高校元校長の発言内容に賛成であることを述べたうえで、理想を語ることが必要な教育現場において、民主主義が瀕死の危篤状況にあることを憂え、「世界のほかの独裁国家をわらえますか」と書いたときの日記だ。
言うまでもなく、教育は生徒と教員の信頼関係がないと成り立たない。教師どうしの信頼関係も当然必要になる。
繰り返しになるが、「渡部謙一氏という人物を私は知らないけれど」、今朝の記事によれば、「市民団体の集会で講演」したり、『朝日新聞の「私の視点」に寄稿』するような、都立高校の校長まで務めた経歴の方である。
現校長による、卒業式と閉課程式への元校長の招待取り消しは、何を意味するのだろうか。
こうした「排除」は、いかなる理由があろうとも、教育がよい方向に向かっているとは私には到底思えない。
渡部さんは、「東京の教育行政は徹底して異論を排除しようとしている」と語っている。
「世界のほかの独裁国家をわらえますか」と再び問わざるをえない。