「「改憲の動き、自覚を」 同志社大卒業式、総長の祝辞話題」


 同志社大学総長の卒業式式辞が話題になっているという。

 「個人主義」の重要性の指摘ということでは、夏目漱石の「私の個人主義」が思い出される。
 小森陽一教授の朝日新聞の記事を読んで、有名な漱石の「私の個人主義」という講演から昨年で100年になることを知り、漱石の「私の個人主義」を昨年あらためて再読してみた。
 漱石は、大学で3年間英文学をやったけれども、文学というものがわからずじまいだった。「他人本位」や「人真似」ではだめで、「自己本位」という「四字」を握ってようやく自分は強くなれた。自らの幸福のために、自信と安心をもつまで、ここに自分の進べき道があったと言えるところまで進んでいきなさいと、漱石学習院の学生たちを励ましました。
 当時日本が置かれた国際社会での位置関係から、「不愉快」と思わざるをえないことの多い時代にあって、漱石の煩悶は、自らの主体性をどのようにしたら確立できるかという日本の課題と無縁ではなかったと思います。漱石は、権力や金力を持つ者こそ義務を忘れず人格のある立派な人間にならなければいけないと、個人の自由と義務とを強調しています。国家主義個人主義との関係についても避けるところなく触れています。
 こうした漱石個人主義は、「すべて国民は、個人として尊重される」という今日の憲法につながる思想という気がしてなりません。
 今日に生きる私たちが100年前の漱石の問題提起を引き継いで考えなければならないと思います。

 同志社総長が指摘されているように、わたしも、「個人の尊重」と「人の尊重」とは、明らかに違った概念であるように思います。すり替えがおこなわれていると言うべきだと考えています。
 
 最近つくづく思うのだが、他人の権利侵害さえしなければ、どのような個人であれ、個性の尊重、個の尊重がされなければならないという点である。変な奴だと、他人と同調していないからといって、いじめや人権侵害や人権蹂躙をしてはいけない。その本人が他人の人権侵害や人権蹂躙をしない限り、どのような個人であれ、尊重されなければならない。いわんや、国が、個人にちょっかいを出したり、おせっかいをすべきではない。それは政府や国の役割とは違う。政府がやるべきことは、どのような個人であれ、個人として尊重し、人権を擁護することである。思想・信条の自由を守ったり、性別や門地で差別をしてはいけないということだ。

 以下、朝日新聞(2015年4月30日16時30分)から。

 日本国憲法が施行され、5月3日で68年。インターネットなどで、同志社大京都市)の3月の卒業式で法学者の大谷実総長(80)が述べた祝辞が話題になっている。「個人主義」の尊さを説き、政治の世界で強まる改憲の動きに警鐘を鳴らす内容だ。大谷総長の思いを聞いた。


 茨城県で育ち、国民学校5年生の時に終戦を迎えた。父親が36歳で召集され、終戦の年に南洋のトラック島で戦死した。生活の基盤を失い、長男の私は畑仕事をしてから学校に行った。高校を出るまで楽しいことはまったくなかった。

 戦後間もないころの教育で、「これからは個人主義の時代だ」と教え込まれた。ところが世間で次第に「個人主義」が利己主義に通じる受け止め方をされるようになり、憲法学者もあまり使わなくなった。

 だが、「個人主義」という言葉には「全体主義」に反対するという特別な意味がある。その意味が薄らいでいるのは、憲法にとって危機的な状況とも言える。

 それと歩調を合わせるように、憲法を変える動きが加速している。自民党憲法改正草案には「個人が大切にされすぎているので、もっと公の利益や秩序を大切にしないといけない」という考えが出ているように見える。

 日本の国のかたちを変えようとしていることに、気づいてない人が多いのではないか。だからこの時期、やはり個人の尊重は絶対的なものだということを明確に打ち出し、卒業生に自覚してほしいと思った。いまの学生は、批判精神が少ないように思う。国のかたちはどうあるべきか、もっと若い人に議論されていい。

 集団自衛権の行使を閣議決定で認めたことは、一番ショックだった。将来、「振り返ればあれが転機だったんだ」と後悔する時があるのではないか。

 学生の自覚を促すことは私たちの責任だ。安倍晋三政権は現に憲法改正の方針を打ち出している。社会の流れをこのまま放っておいて良いのか、党派や政治的信条を抜きにして、私たち戦争体験者が言っておく必要がある。

 (聞き手・浅倉拓也)


 ■大谷総長の祝辞(要旨)

 私は、今日の我が国の社会や個人の考え方の基本、価値観は、個人主義に帰着すると考える。国や社会は何にも勝って、個人の自由な考え方や生き方を尊重しなければならないという原則だ。個人主義は、利己主義に反対し、全体主義とも反対する。

 安倍首相の憲法改正の意欲は並々ならぬものがある。自民党憲法草案では、「個人の尊重」という文言は改められ、「人の尊重」となっている。個人主義を、柔らかい形ではあるが改めようとしている。

 皆さんは、遅かれ早かれ憲法改正問題に直面するが、そのときには、本日あえて申し上げた個人主義を思い起こしていただきたい。そして、熟慮に熟慮を重ねて、最終的に判断して頂きたいと思う。