夏目漱石の「私の個人主義」を再読した

私の個人主義

 漱石の「私の個人主義 (講談社学術文庫)」を再読した。
 漱石の「私の個人主義」は、1914年(大正3年)に学習院大学でおこなわれた漱石の講演記録であり、これを私は高校生のときに読んだ。再読といっても高校生のときに読んだものだから、当然のことだが、今読んでの印象はかなり違ったものになっている。
 当時の時代状況の中で学習院大学の学生に向かって語りたいことというあの講演の設定については、高校生のときにはよくわかっていなかったと思う。
 漱石自身が、講演中に、「今までの論旨をかい摘んで見ると」と総括していることは以下の三つに「帰着する」と言っている。

 第一に自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならないという事。第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならないという事。


 そして、次のように漱石は述べている。 

 

そうしてこの三つのものは、貴方がたが将来において最も接近し易いものであるから、貴方がたはどうしても人格のある立派な人間になっておかなくては不可いだろうと思います。


 当時の学習院大学の学生たちの社会的存在。漱石が語る「自己本位」や「個人主義」。また当時の日本社会の中での国家主義の台頭、等々、興味が尽きないが、俺としては、文学論や、英文学論を学ぶ際の、おそらく主体性の確立というテーマで語ったことが興味深かった。

 近頃流行るベルグソンでもオイケンでもみんな向こうの人がとやかくいうので日本人もその尻馬に乗って騒ぐのです。ましてその頃は西洋人のいう事だといえば何でも蚊でも盲従して威張ったものです。だから無闇に片仮名を並べて人に吹聴して得意がった男が比々皆これなりといいたいくらいごろごろしていました。他の悪口ではありません。かくいう私が現にそれだったのです。譬えばある西洋人が甲という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑に落ちようが落まいが、無闇にその評を触れ散らかすのです。つまり鵜呑といってもよし、また機械的の知識といってもよし、到底わが所有とも血とも肉ともいわれない、よそよそしいものを我物顔に喋舌って歩くのです。しかるに時代が時代だから、またみんながそれを賞めるのです。


 漱石はやはり面白い。