アルバム"Paul Simon"の"Peace Like A River"(1972)

Paul Simon

Patrick Humphriesの”Paul Simon still crazy after all these years”の中で、’Peace Like A River’について次のように書かれている。
“‘Peace Like A River’ recalls ‘The Only Living Boy in New York’, but can now be appreciated as a trailer for ‘American Tune’ the following year. It charts the disillusionment of the 60s’ activists, now bound and gagged but still optimistic, like Simon, about a brighter future.”(「Peace Like A Riverは、The Only Living Boy in New Yorkを想いださせるが、今や翌年のAmerican Tuneの牽引車のような働きをしたと評価できる。それは、サイモンのように、今や縛られ、さるぐつわをかまされ、それでも明るい未来について楽観的な、60年代の活動家たちの幻滅を描いているのだ」)。

 アルバムPaul Simon全体を通じて、60年代の総括、60年代を踏まえて、新たな展望を見出そうとするリアリズムと決意が感じられるのだが、この曲もそうしたもののひとつである。
 一行目のPeace like a river ran through the city(「河のごとく平和が街中を流れていた」)が過去形であることに注目したい。これは60年代を象徴して表現しているに違いない。二行目のLong past the midnight curfew(「遠く過ぎ去った深夜外出禁止令」)が何を指すのかよくわからないが、騒乱であった60年代の何かを指しているのかもしれない。

 We sat starry-eyed(「われわれは空想的で非現実的だった」)
We were satisfied(「われわれは満足していたのだ」)

Starry-eyedというのは、”naively enthusiastic or idealistic”ということで、「単純に眼を輝かせる空想的な、非現実的な」という意味だから、けっしていい意味では使わない。「非現実的な改革者」のことをstarry-eyed reformersと言ったりする。  Martin Luther King, Jrは、We were not satisfiedとその歴史的スピーチで繰り返していたが、この主人公はWe were satisfiedと言っている。

 次は、You can〜、You can〜と、たたみに畳みかけて、ひっくり返す、つまり逆接をおくパターンになっている。これは、英語ではよくあるパターンである。


You can beat us with wires
You can beat us with chains
You can run out your rules
But you know you can’t outrun the history train
I’ve seen a glorious day



 お前はワイヤーでわれわれを打つことだってできるし
 チェインでわれわれを打つことだってできる
 自分の規則を自分で無効にすることだってできるけれど
 でも、歴史の列車の先を行くことはできやしないだろ
 栄光の日をこの目で俺は見たんだから


 Peace Like A Riverの演奏も素晴らしい。
 Peace Like A Riverは、アルバムPaul Simonの中でハイライトの曲のひとつである。