「父親たちの星条旗」を観た

Flags Of Our Fathers

 今週の火曜日、大雨の日に、話題の映画「父親たちの星条旗」(“Flags of our Fathers”)を観た。
 この映画は、第二次世界大戦硫黄島での日米の戦争を描いているのだが、ピューリッツァ賞をも受賞し歴史的にも有名な、硫黄島山頂にアメリカ軍の兵士が星条旗を立てた写真をきっかけにして、ものの見方・考え方を見事に考えさせる映画になっている。
 ジョー・ローゼンタールが撮影したその写真は、金集めの政治的プロパガンダとして利用するために着目される。
 そして、そうした政治的思惑と現場の当事者の体験や気持ちとが、ずれていくことから、時流に乗ろうと思ったけれどうまく事が運ばなかった伝令係の人生、体験を語ろうとしなかった衛生兵の人生、人格が引き裂かれてしまったネイティブアメリカン海兵隊員の人生と、まるでフィクションのような三種三様の人格を通してドラマが進行していく。比較的無名の俳優を抜擢したことも監督の演出だろう。
 今でいえば、PTSD(post-traumatic stress disorder)ということになるのであろう。硫黄島での爆撃と本土の花火。流血と白いデザートの上にかけられたイチゴソースの赤い色。硫黄島での戦争体験とアメリカ合州国本土での生活感覚とが、カットバックされながら、織り込まれ、硫黄島での戦闘とアメリカ合州国本土の意識の、その視点の違いを見事に描いている。
 76歳になるクリントイーストウッド(Clint Eastwood)監督の製作意欲に脱帽せざるをえない。
 二部作とも言われる、同監督の「硫黄島からの手紙」も観なければなるまい。
 これらの映画に通じる重要な点は、「視点」である。そして、ものの見方・考え方という意味論である。そして、徹底して現場から見る視点は、反戦へと通じざるをえない。戦争を丹念に描写することによって映像が反戦を雄弁に物語っているのだ。