今回出されたLive at the Fillmore East (W/Dvd)は、ニールヤングとクレイジーホースにとって、どういう位置にあたるのか。Johnny Rogan著のNeil Young: Zero to Sixtyを参考にしながら、少し整理してみた。
1969年の1月にソロアルバムNeil Youngを出す以前には、ニールヤングは、Buffalo Springfieldのメンバーとして活動していて、スティーヴンスティルスと一緒にやっていたわけだが、Buffalo Springfieldで活動していた最初の頃スティーヴンスティルスはニールヤングに歌うなと言っていたという逸話がある。確かにニールヤングによる自作曲と自作詞でも、バンドでは歌わせてもらえていなくて、初めの頃の作品でボーカルソロを取っているのは、Burnedという曲くらいだ。
ところで、それよりずっと前の1966年の暮れに、その後Neil Youngと長いつき合いとなるクレイジーホースの前身であるThe Rocketsというバンドが結成されていた。メンバーの中心は、ギターのDanny Whitten, ドラムスのRalph Molina, ベースのBilly Talbotだ。Buffalo Springfieldの中で自分の居場所として居心地の悪かったニールヤングは、とりわけDanny Whittenとの交流によって自分らしさを取り戻し、彼らと交流し演奏するようになる。The Rocketsには、Bobby Notkoffというバイオリニストもいたのだが、結局ニールヤングのバックバンドとして、Neil Young & War Babies、のちにNeil Young & Crazy Horseとして、ロケッツを乗っ取ってしまったかたちになった。
こうして1969年2月頃より、Crazy Horseを従えてのツアーが開始され、3月頃からレコーディングも始まり、その結実として1969年の5月には、Everybody Knows This Is Nowhereというアルバムがリリースされ、そのまま彼らは東海岸ツアーに出かけることになる。ニューヨーク、ワシントンDC、クリーブランドと、小さなクラブをまわって演奏し、ショーが終わればニールヤングが現金を分けたという。彼らがまだ大きく成功する前の話だ。
ニールヤングの一枚目の発売から二枚目の発売まで、5ヶ月も経っていないことを考えると、Neil YoungとCrazy Horseとの出会いは、運命的と言える出会いだった。
これより前、1968年頃には、Buffalo SpringfieldとByrds出身のStephen StillsとDavid Crosbyが活動を始め、スーパーグループ結成を模索中だったスティーブンスティルスが東海岸ツアー中のNeil Young & Crazy Horseを訪れ、ジャムセッションをしたりしている。イギリスのHolliesに嫌気をさしたGraham Nashを迎えて、Crosby, Stills, and Nashとしてアルバムを出したのが1969年5月のことで、これがNeil Youngの二枚目Everybody Knows This Is Nowhereが発売された時期と重なる。このスーパーグループにさらに新しいメンバーを迎え入れようとしていたスティルスのアイデアは候補としてエリッククラプトンをはじめとして二転三転したが、結局、ギターが弾けるシンガーソングライターであり、昔からの仲間であったニールヤングを迎えることになった。
こうしてスーパーグループCSNYとして夏から活動し、1969年8月には、あのウッドストックフェスティバルに参加することになる。
1970年1月には、初のロンドンは、Royal Albert Hallで公演もし、2月からはニールヤングは合州国に戻ってクレイジーホースとツアーに出かける。このクレイジーホースには、ジャックニッチェも参加していて、昨日紹介したフィルモアイーストのライブは、この一連のツアー中の3月6日、7日から取られている。
昨日の日記で「すべてはここから始まった」と書いたのは、Neil YoungとCrazy Horseとの運命的出会いについて書いたつもりだったのだが、正確にいえば、1969年の運命的出会いのことを指すべきであり、1970年3月のフィルモアイーストのライブはすでにその運命的出会いから1年くらいを経ていることになる。けれど、その後の彼らの長いつき合いを考えれば、「すべてはここから始まった」と書いても許されるだろう。
フィルモアイーストの3月と時期が重なって発売となったのが、CSNYのDéjà Vuだ。
この頃のNeil Youngは、CSNYとCrazy Horseと、二つかけもちで演奏していたことになる。