何十年かぶりに「若者たち」を観た

若者たち

 リアルタイムでは観ていないと思うのだが、それでも自分が「若者」である時代に、映画若者たち 三部作 DVD-BOXを何回か観た記憶がある。父親も母親もいない佐藤一家の兄弟5人を中心に紡ぎだされる物語だが、いつも討論しては、ちゃぶ台をひっくり返す場面と、三郎役の山本圭が火鉢でお金を燃やすシーンは忘れようにも忘れられない。
 映画「若者たち」を通じて、理想と現実との葛藤が描かれる。現実とは、食わなきゃならない現実だ。理想とは、もう少しまともな暮らしはないものかという理想であり、より正確にいえば、みんなが幸せになるまで、一人ひとりの幸せはないという理想だ。
 理想を貫き、理想を語りながらも、アルバイトに精を出し、少しだけちゃっかりした面も兼ね備えている大学生の三郎が、佐藤家一番の理論家だが、その彼だって、理想と現実の間を揺れ動いている。ただ彼は大兄を信じているように楽観的になろうと人間を信じているし、戦争屋の愚かさと同時に人間がもつ知恵の力も信じている。オリエの恋人が原爆病であれば、入手できる全ての文献を読むような男だ。長男の太郎だって、次郎だって、オリエだって末っ子のボンだって、みんな理想と現実の間を揺れ動いているのだ。
 理想を追求しようとしても誘惑も多い。楽な道、楽な道へと流されそうにもなる。友人や恋人との信頼も裏切りもある。まず生きること自体が大変な世の中。まず生きていくことが大切だ。
 今回あらためてDVDで見ての感想は、何といっても山内久氏のシナリオが素晴らしいということだ。佐藤一家の五人兄弟のそれぞれのキャラクターがしっかりと描かれている。そして、そのキャラクターを演じる俳優たちが、また素晴らしい。田中邦衛橋本功山本圭、松山省二、佐藤オリエ。この兄弟たちの生き方が、その理想と現実とが描かれていくと同時に、各人の恋愛が、これまたきちんと描かれていく。
 映画の中では、労働者を取り巻く状況についてはもちろんのこと、女性の問題もきちんと描かれる。
 特筆すべきは、シリアスなドラマであるけれど、同時に、ユーモアがたっぷりとあることだ。これは本人たちにユーモアがあるというよりは、観客側がユーモアを感じるということだけれど。一流の落語家が自分は笑わないのと同様、観客を本当に笑わせることのできる良質のユーモアは、演じる側が笑ってはいけない。
 監督の森川時久氏はフジテレビ*1出身であるから、その撮り方には、ドキュメント仕立ての討論劇のような雰囲気があるのかもしれない。この手法で高度経済成長下の問題が描かれていく。すなわち、カネを儲けようとして、人間として失っていくものはないのかという問いかけである。火鉢に紙幣をくべて、燃やす三郎が、「カネより強いんだ、人間は」と涙ながらに語る場面は、まさにその意味で、この映画のクライマックスなのだろう。

 大兄の太郎役の田中邦衛が、「俺は好きなんだ、春が。気温がたけぇから」というシーンも感動的だ。
 田中邦衛といえば、私は1962年の「椿三十郎 [DVD]」、1965年の「エレキの若大将 [DVD]」。そして、この1967年の「若者たち [DVD]」を思い出すのだが、「若者たち [DVD]」の田中邦衛は素晴らしい。
 
 自分の人生体験から、とりわけ直前の失恋経験から、大学受験に再度失敗する末っ子に対して、「大学へ行け、ボン」と太郎が言う。
 「(大学に行かないと、回り道をすることになる。)そういう世の中だ」と、太郎が主張すると、「そんなことはなくならぁ」と、次郎が言う。「なくなりゃしねぇ」と、太郎が反論する。三郎が、「なくならなきゃ、なくすしかないじゃないか」と切り返す。「その間も生きているんだ、人間は」と太郎が言う。
 映画「若者たち」は、ディベート劇であり、当時の時代状況に切り込んでいった作品だ。その中で問われていた問題は、いまだ解決をみていない。
 今生きている若者たちに是非見て欲しい映画だ。

*1:フジテレビばかりではないけれど、テレビ界全体は、確実にジャーナリスティックな面を失い退廃していっているのではないか。またテレビ番組で受け入れられた作品が映画に進出するというダイナミズムやエネルギーもあったのだろう。