ダグラス・ラミスさんの「普通の国になりましょう」を読んだ

普通の国になりましょう

 元津田塾大学教授であったC・ダグラス・ラミスさんの「普通の国になりましょう」を読んだ。
 コラムニストの天野祐吉さんが「自分がフツーだと考えている人ほどフツーじゃない。この本を読むとよくわかる」と帯に書かれているように、「普通」って何なのか、考察を加えている良書だ。小見出しに、『でも、「普通」ってなんでしょう?』『普通って「平均的」のこと?』』『普通って「あるべき姿」のこと?』『普通って「アメリカ」のこと?』『普通って「正常」のこと?』『普通って「常識」のこと?』とあるように、徹底的に「普通」について考える本である。
 たとえば、『普通って「アメリカ」のこと?』という小見出しは、私なりに言わせてもらえれば、植民地主義的意識ということになる。どっちが「普通」なのか、どっちが「正常」で、どっちが「異常」なのか。シェークスピアマクベスのfair is foul, and foul is fair.ではないけれど、とりわけ意味的混乱が混沌を生み出している時代にあっては、よく吟味する必要があるのである。いわば、この本はイデオロギー闘争になっている。今風にいえば、ディベートか。
 そして、事実にもとづいた考察をあれこれ加えたうえで、最後にこう書かれている。

 21世紀には、戦争はやっぱりやるものではない、という「常識的な常識」が普通になってくるでしょう。


 その常識に半世紀以上も前に気づいたのが、日本国民です。
 日本以外の人たちがやっと気づきはじめたとき、日本は20世紀の戦争常識(非常識な常識)へ戻る、という逆流に乗るのでしょうか。


 普通の人は戦争をしません。
 戦争をする人は、なかなか普通になれません。
 戦争をしないことが普通になる世界をつくらないと、人類の生存さえあやうくなります。


 みなさん、ぜひ「普通の国」になりましょう。

 ダグラス・ラミスさんの、この意味論的闘いの本「普通の国になりましょう」を、すべての人びとに推薦したい。