山形大学長選に文部科学省の前事務次官が立候補するという話をどのように理解したらよいのか

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 まずは、7月6日のasahiから引用しておく。

結城前文科事務次官山形大学長選に立候補へ
2007年07月06日


 文部科学省を6日に辞職した結城章夫・前事務次官(58)が退任会見で、10日に公示される山形大学の学長選に立候補することを明らかにした。結城氏は山形出身。複数の学部から推薦されているという。


結城章夫氏
 次官経験者は多くの場合、「天下り」で省庁の外郭団体や関連の独立行政法人のトップに再就職する。省内では結城氏もこうしたポストに再就職するとの見方もあったが、異例の学長選立候補となった。

 この日は、立候補に必要な「所信」の提出締め切りで、結城氏は夕方提出した。次官クラスの人事は国会開会中は行わない慣例で、6日の辞職は前日に国会が閉会したことを受けて発令された。辞職の日と締め切りが重なったため、ギリギリでの立候補となった。

 結城氏は会見で「地方大学の位置づけが非常に難しくなっている。私が文科省で得たいろんな知識、経験を何らかの形で役に立て、ふるさとの大学の発展に貢献できれば幸せ」と述べた。

 学長選は仙道富士郎学長の任期が8月末で満了することを受けて行われ、結城氏の他には現職と前職の学部長計3人が立候補する予定。25日に教職員による投票で上位3人に絞り、26日に学内外の委員で構成する選考会議が最終的に決める。

 結城氏は東京大工学部卒。71年に旧科学技術庁に入り、省庁再編で文科省となった後は官房長、文科審議官などを経て、05年1月に旧科技庁出身者として初めて、文科事務次官に就任した。

 山形大学について、以上の記事以上の情報を私は持っているわけではない。また山形大学にとくに関心を抱いているわけでもない。教育の現場で働く一教員として見ているだけなのだが、しかし、これは現在の日本の教育を象徴するような話ではないかと思う。
 山形大の話は、学長は社長ではないけれど、管理監督者が現場の社長になるような話だ。
 これは、まさに「天下り」と言われても仕方がない。事実、「次官経験者は多くの場合、「天下り」で省庁の外郭団体や関連の独立行政法人のトップに再就職する。省内では結城氏もこうしたポストに再就職するとの見方もあったが、異例の学長選立候補となった」とあるから、他の「天下り」候補地を蹴っての今回の出馬のようだ。
 ただ、学長選ともなれば、他の立候補者もいるから、普通は、簡単な話ではないはずだ。当選するかしないかわからないのであれば、それはリスクの高い話になるからだ。「天下り」ではないと反論したくなる気持ちもわからないではない。けれども、どうなのか。
 ということは、邪推すれば、今回の出馬の背景には出来合いレースのようなところは全くないのか。でなければ、他の「天下り」候補地を蹴っての出馬とはならないのではないか。事実、「複数の学部から推薦」があったと、記事にある。
 そもそも学長というものは、学問が何たるか、学問研究が何たるかがわかっていないといけないはずだ。だから、本来、学長なんて儲かる話であってはならないはずだが、そこまでしての元次官の出馬の背後には、美味しい話があるということはないのか。でなければ、これはなかなか理解しにくい話である。