「寅さんの学校論」を読む

寅さんの学校論

 前に買い求めたものだが、あまりきちんと読んでいなかった岩波ブックレットの「寅さんの学校論 (岩波ブックレット (No.326))」を読んだ。
 「寅さんの」とあるが、「男はつらいよ」シリーズではなく、山田洋次監督の映画「学校」を材料にした対談である。
 西田敏行田中邦衛が好演していた映画「学校」*1を材料に、学ぶということ、授業のこと、先生のこと、スタッフのことなどの対談が、とても面白い。
 また、監督と俳優の関係は、教師と生徒の関係にも似ていることや、伊丹万作の「演技指導論草案」の話*2がすこぶる面白かった。

 俳優を見つめる監督の眼力。監督のみならずスタッフ全員で俳優を見つめていなければならないという点で、面白かったのは、「七人の侍」での宮口精二の剣豪役の抜擢である。当時、宮口は、わたしにこんなことができるでしょうかと悩んだという。山田洋次は「いや、あなたにできるんです、そういうのがキャスティングの妙でしょうね」と喝破している。以下、山田洋次監督の発言から。
 

むしろ大事なのは、その俳優の隠された魅力というもの、あるいは、その俳優がもっている、いちばんすばらしい特長というものをひっぱり出す、見抜く力であって、それにくらべれば、一人の俳優がいろいろ苦心惨憺して、そこから何かを生み出そうという努力はしれている。キャンスティングのほうがもっと有効だということでしょうね。

 

あるいは、もっと悪い例は、偉い俳優というのがいまして、いまでもよくいますけれども、いばりちらしている俳優がいて、監督がへりくだってものをいうなんていうのは最悪だけれども。とにかく、そういう特別な関係をもってはいけないということです。
 全体に愛しつつ、かつ同時に、べったり愛さないで、少し距離をおいて冷やかに見るというゆとりを、いつも残しておくというか、小姑のような意地悪さを残しておくというか。

 

俳優の悪口をいうようなスタッフは、即座にはげしく叱責するか、やめてもらったほうがいいんですね。そういうことは、ぼくのスタッフはぜったいいわないです、俳優の陰口を。俳優はほめなければいけません。


 私の教師経験でも、ここでいう俳優を教師に置き換えても、さほど違和感がない。
 教師はほめて育てなければいけない。ときに建設的な批判も必要だろうが、それが陰口などの批難であってよいはずがない。

*1:映画「学校」は1993年の作品。

*2:伊丹万作の「演技指導論草案」に「書かれていないこと」として山田洋次監督が指摘していることなのだが、「俳優を集団としてとらえるということ」「俳優の集団対監督」というとらえかた、さらに「スタッフまで広げれば、スタッフという集団対監督という形で考えてみるということが書かれていない」という指摘は、慧眼であると思う。