「映画をたずねて 井上ひさし対談集」を読む

映画をたずねて

 ちくま文庫の「映画をたずねて 井上ひさし対談集」を読んだ。
 これは題名のとおり、井上ひさしさんの対談集で、相手は、黒澤明山田洋次渥美清小沢昭一高峰秀子と、とても面白い対談集なのだが、これまでつまみ食い的に読んでいて、読了していなかった。今回、初めて読了した。
 黒澤明監督の「七人の侍」の話。渥美清という俳優がどうして生まれたか、その環境(成育歴)の話。「男はつらいよ」の話など、興味がつきない。なんといっても面白い話を引き出している井上ひさしさんの映画に対する鑑識眼が冴える。
 なぜ映画を観るのか、井上ひさしさんは次のように言っている。

 ぼくの一生というのは、ずっと映画で慰められてきたんですよ。この頃は仙台の養護施設にいまして、いいところでしたけど、やはりいじめっ子もいれば、怖い先生もいる。結局逃げ道は映画でした。

 さて、対談の中では、黒澤明の映画論が面白い。
 たとえば以下のくだり。

 映画の中には文学的な要素もあるし、演劇的な要素、絵画的な要素、音楽的な要素、いろんな要素がありますよ。だけど映画はやっぱり映画じゃなきゃ。
 映画とは何かというのが僕はまだよくわからない。だいたい論理的な頭じゃないから論理的には説明もつかないけれども。ただ、1本の映画(シャシン)を撮ってて「あっ、これは映画になったな」と思うときがある。そのときはゾクゾクとするわけ。残念ながらまだ一本の作品でそれが二、三カ所しかなくて、「まだまだ」と思ってるわけ。ところどころ、「あっ、ここは映画になったな」と思う、それを少しでもたくさんつかみたいという気持ちね。(黒澤明

 あともうひとつ。

 

日本映画がなぜダメになったのかと聞かれて、ぼくがいつもいうのはね、昔は監督が撮りたいというものを撮らせていた。それが営業部あたりが口を出すようになっておかしくなったんです。映画っていうものを本当に理解しているのは作ってる連中なんでね。(黒澤明

 以上は、映画のことを語っているのだが、教育も全く同じだと思う。