井上ひさしさんの「この人から受け継ぐもの」を読んだ

この人から受け継ぐもの

 こんな断片的な思い出話では井上ひさしさんに迷惑だろうが、俺が10代の頃にテレビでやっていた「ひょっこりひょうたん島」や浅草のストリップ劇場でコントを書いていたエピソードや、映画の話など、井上ひさしさんに興味がないわけではないが、大の井上ひさしファンというほどには全くといってよいほど、井上ひさしさんの書かれたものを俺は読んでいない。井上ひさしさんのものといえば、10代後半に読んだ「モッキンポット師の後始末」と「青葉繁れる」、そして教師になってから読んだ「子どもにつたえる日本国憲法」くらいだろうか。
 ただし、井上ひさしさんの劇は好きで、まぁ観ているほうだろう。
 そうした井上ひさしさんの書かれる劇ときたら、なんともいい舞台が多く、最近とみに自分にとって井上ひさしの劇を観劇しているときが至福のときでもある。そうしたことでは、井上ひさしという人間に大変興味がある。
 その井上ひさしさんが書かれた「この人から受け継ぐもの」を読んだ。一言でいって、大変面白い本だった。
 「私のチェーホフ」というチェーホフ論も、「笑いについて」も大変面白かったが、「憲法は政府への命令」という吉野作造論や「戦争責任ということ」という丸山眞男論も面白かった。でもとりわけ「ユートピアを求めて」という宮沢賢治論が面白かった。なぜかといえば、井上ひさしさんがいかに宮沢賢治を敬愛しているかがわかったからだ。 
 そして井上ひさしさんの劇が、なぜ歴史にこだわり歴史を背景にしたものが多いのか、なぜ日本語の語りにこだわり劇づくりにこだわり続けたのか、そしてなぜ笑いにこだわってきたのか、よくわかる内容を井上ひさし自身が語ってくれている。
 井上ひさしという人格の骨格をつくった人々という意味で、「この人から受け継ぐもの」を大変面白く読んだ。