尾木直樹著「取り残される日本の教育」を読んだ

取り残される日本の教育


 教員生活44年の尾木直樹さんの「取り残される日本の教育 わが子のために親が知っておくべきこと (講談社+α新書)」を読んだ。
 「フィンランドの競争のない教育」「一人の落ちこぼれも出さず、国民全体の教育水準を引き上げること」から学ばないと、日本の教育は取り残されたままとなるだろう。



 次は、いくつか印象に残った箇所。


 日本の教育改革の成否のカギを握っているのは、教育現場において、日々子どもたちと対峙している教師一人ひとりにほかならないと私は考えています。しかし、それだけ期待され、重責を担っているはずの教師たちの中で、昨今、「このまま子どもの教育を任せて大丈夫だろうか」と心配になるようなさまざまな問題が起こっています。

 最近、このように、教師が子どもをしっかり見ていないのではないか、子どもと向き合おうとしていないのではないか、と思わせられる出来事が増えているように感じます。

 教師がなぜ子どもと向き合えなくなるのか。「忙しすぎて指導できない本末転倒」とあります。

 次は、フィンランドの教育改革を成功させた元教育大臣のオッリペッカ・ヘイノネン氏のことば。
 

 多くの国で中央政府の統制が強い理由もわからなくはありません。…しかし、そこに圧力が加わると、うまく機能しないのです。なぜなら教育には自由が欠かせないからです。学ぶということは大変繊細で、個人的で、また非常に複雑な事柄です。私たちは、それぞれの現場、つまり、生徒、教師そして校長に任せるべきであり、阻害してはならないのです。というのも、最も重要なのはモチベーションだからです。教師の意欲、生徒の学習意欲、それこそが核心なのです。厳しく管理すれば、モチベーションが失われ、結局何もかもがだめになってしまうのです。

 あと印象に残ったのが「ドイツの政治教育」。ドイツでは、「教師が生徒の前で自分の見解を述べてはならない」ということはないという。ドイツの政治教育の目標は、「一人ひとりが自分のk意見を持つ」ということ。
 ドイツでは、子どもを子ども扱いせず、子どもの力を信じているのだろう。
 

 実際、”完全なる中立”といえる意見や立場が存在するでしょうか。ありもしない不確かな立場を追求するあまり、現実的で実践的な政治の議論ができなくなっているのが、いまの日本の状況です。教師が一人の市民として自分の考えを述べることさえ許さない、管理と監視によって縛られた学校現場では、残念ながら真の「主権者教育」に取り組むことは難しいといえるでしょう。

 「民主主義」を教える「市民教育」(シチズンシップ教育)に力を入れないと、日本の教育は取り残されるばかりだろう。