前川喜平氏の「権力は腐敗する」を読んだ

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権力は腐敗する

 前川喜平氏の「権力は腐敗する」(毎日新聞出版)を購入して読んだ。

 わたしは私大付属校で長年教師をしてきた。個人的に知っている文科省の大臣や文科省の官僚がほとんどいなかったということもあるけれど、これまで信頼できる文科省大臣や文科省の官僚はほとんどいなかった。

 けれども、前川喜平氏は、例外中の例外である。

 氏の能力もさることながら、人格的にすばらしい。信頼できる。

 信頼できる人物か否かは以下の一文を読めば明らかである。

 安倍政権は内閣法制局長官の首をすげ替えた上で2014年7月、集団的自衛権による武力の行使が憲法上許されるとする閣議決定を行った。こんな解釈改憲が許されるはずはないと思った。2015年に安倍政権が立法を強行した安全保障法則は、あきらかな違憲立法だった。日本国憲法が壊された。その成立前夜の2015年9月18日、私は我慢がならず国会正門前の抗議デモに参加した。私が文部科学省事務次官になる前の年のことだ。(「権力は腐敗する」p.14-p.15)。

 この9年近くにわたるアベ・スガ政治をみれば明らかである。

 「学ばない国民は政府によって騙される。愚かな国民は愚かな政府しか持つことができない。愚かな政府は腐敗し、暴走する」(「権力は腐敗する」p.242)。

 腐敗し暴走する政府にたいしては、取り換えるしかない。

 

 世界を見渡せば、自由を求めて若者たちが闘っている。

 香港。台湾。ミャンマーアメリカ合州国…。

 諸外国の若者にくらべて日本の若者たちの体制現状容認の傾向が強いという。日本の若者の現状容認傾向が強いのはなぜか。前川喜平氏は、「日本の学校における政治教育の貧困に大きな原因がある」と考えている。

 ドイツでは、みずからの関心・利害にもとづいて生徒が自分の意見を獲得し政治に参加できるよう必要な能力の獲得をうながすために、学問と政治の世界において議論のある問題も授業で扱う。ただし教員は生徒を圧倒してはいけないと、日本と違い、授業の中で自分の政治的見解を述べることを禁じていない。こうしたドイツの教育状況を「権力は腐敗する」は紹介している。

 「良識ある公民として必要な政治的教養は教育上尊重されなければならない」と政治教育の必要性が日本の教育基本法にうたわれているが、「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対する政治教育その他政治的活動をしてはならない」と、学校での党派的な政治教育・政治活動の禁止と政治的中立性の確保を求めている。もちろん、圧迫的に、支配的に、盲目的に、生徒に強制することは、教育活動で許されるはずもない。それはハラスメントでありファシズムである。しかし、個人として尊重されることを前提にして、自由な議論が、教育では主権者教育として必要不可欠である。

 いまの日本は、「党派的な政治教育・政治活動の禁止と政治的中立性の確保を求め」るあまり、主権者教育としての政治的教養の育成がないがしろにされ、政治議論がタブー視されている。それこそ問題ではないだろうか。

 政治的教養を身につけることができなければ、簡単に騙される。それこそ権力者の思い通りだ。

 本書の帯に「権威を疑え。自分の頭で考えろ。さもなくば、民主主義は終わる」とある。

 前川喜平氏の「権力は腐敗する」は、読み応えのある良書である。本書の一読をすべての国民にすすめる。