「知らなかった、ぼくらの戦争」を読んだ

知らなかった、ぼくらの戦争

 アーサー・ビナード編著「知らなかった、ぼくらの戦争」を読んだ。

 感想をいくつか述べると、第一に、コトバについてである。
 編者のアーサー・ビナード氏が詩人であること、ミシガン生まれのアメリカ人であることから、ひとつひとつのコトバに対して、鋭く、深く、批判的に扱う視座が与えられる。母語の場合、とかく無自覚に使ってしまう「戦後」「玉砕」「玉音」「内地」「外地」等のコトバひとつひとつが掘り下げられていく印象が残る。
 「君は狭間という日本語を知っているか」という「狭間」というコトバを深く考えるアーサー・ビナード氏。「アリゾナ号」「ミズーリ号」「オスプレイ」や、「雪風」「初霜」「冬月」などのネーミングについての指摘も、忘れがたい。

 第二に、歴史について、である。
 インタビューから、見逃しがちな私たちが知らなければならない歴史が掘り下げられていく。
 真珠湾攻撃の意味。
 アメリカ合州国の政策として核兵器開発。
 ヒロシマナガサキへの原爆投下のそれぞれの意味。Little BoyとFat Manの原子爆弾としての成分と能力の違い。
 第509混成軍団の役割。
 雑誌Lifeの中国人とジャップの見分け方特集。

 戦争によって被害を受けるのは、庶民である。沖縄戦を体験した太田昌秀元沖縄県知事の「軍隊は民間人を守らない」という教訓は忘れてはならない。
 アーサー・ビナード氏が引用している次の言葉も、過去の歴史についても当てはまるだろう。

「平和とは、どこかで進行している戦争を知らずにいられる、つかの間の優雅な無知だ」(エドナ・セントビンセント・ミレー <アメリカの詩人>)

 第三に、戦争は、地域的に大規模に展開するから、どこでどのような体験をするかで、違ってもくるだろう。本書で出てくる地理的な広さ。
 
 真珠湾攻撃の出撃地ともなった択捉の単冠(ひとかっぷ)湾。中島飛行機武蔵製作所。巣鴨。日比谷松本楼大久野島。沖縄。台湾の基隆。中国の瀋陽パプアニューギニア。“The Bone Man of Kokoda”の話は、オーストラリア人の同僚と、いつか、日本人の高校生とオーストラリアの高校生徒とで、平和について考えながら、ココダ・トレイル(Kokoda Trail)をキャンプしながらトレッキングをするstudy tourを話し合ったことを思い出した。
 さらに、アーサー・ビナード氏の子どもの頃の話。
 シカゴの製菓会社が発売した刺激的なキャンデー・Atomic Fire Ballは全く知らないが、フォーチュンクッキーは、1980年代に滞在したときに、俺もサンフランシスコでよく食べた。けれども、フォーチュンクッキーは、歴史的にはジャパニーズのイメージもあったのに、戦争政策の関係で、1940年代には、完全にジャパニーズのイメージをはぎとって、チャイニーズのフォーチュンクッキーとなったことは初めて知った。
こうして、本書には、ざっとあげても、さまざまな地域の話が詰まっている。
 

 三遊亭金馬の八月十五日の話も、「はなし塚」の「禁演落語」(五十三話)の話も面白かった。

 「ほとんど知られていないが、ユーモアの本当の源は悲しみだ」(マーク・トウェイン