「衆院選、勝ったのは「昭和」「角栄」 濱野智史さん」

f:id:amamu:20051228113104j:plain

 以下、朝日新聞デジタル版(2017年10月24日23時39分)から。

 「勝ったのは「昭和」」「死後なお、田中角栄が勝っているのかもしれません」という筆者の分析には賛成しかねるが、自民党の問題議員や疑惑議員を消極的に勝たせている構造とは何かという点では、考えるべき論点があるように思われる。
 市民革命を経ていない日本の民主主義の到達度という視点では、考えるべき論点があると思われる。が、その一方、軍事基地や原発など、政治課題が鮮明な選挙区では、問題は熾烈に争われてはいるのが、現代日本の政治状況ではないか。
 そう考えてみると、「勝ったのは「昭和」」というのは、分析として大雑把すぎやしないか。

 そこそこ若い世代の一人として、勝ったのは「昭和」だと私は思います。昭和時代に自民党が作り上げた、地元や業界への利益誘導に基づく集票システムを超える政治基盤が、本当に日本にはないんだな、ということがむなしく確認できました。そういう意味では死後なお、田中角栄が勝っているのかもしれません。

 日本はもともと、外圧でもないと変化の起きにくい島でした。黒船が来たから仕方なく近代化し、形だけ民主主義をやり始めたけれど、革命のあったフランスや南北戦争のあった米国のように、過酷な歴史を経て有権者に根づいた意識もない。だから日本の政治は、「民主主義ごっこ」のような一種の借り物でした。

 戦後、その「民主主義ごっこ」を日本流の利益分配システムに仕立て上げたのが、自民党であり角栄でした。その結果、組織票か、地元でずっと応援しているから、という利害と惰性中心で、政策は二の次という支持基盤が強固になりました。都市型無党派層の私から見ると、今回の結果は既得権益に頼る地方の人々が作り上げた分配システムの勝利にしか見えないのです。

 (後略)

聞き手・吉川啓一郎