「(インタビュー)ロシア革命100年 日本共産党前議長・不破哲三さん」

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 以下、朝日新聞デジタル版(2017年11月17日05時00分)から。

 ロシア革命から100年。労働者による革命で社会主義を打ち立てようというマルクスの思想が、ソ連という国家の形で実現し、世界は大きく揺さぶられた。だが、国際社会を二分する冷戦を経て、ソ連は1991年に消滅する。革命は世界をどう変えたのか。いま社会主義とは何か。日本共産党不破哲三前議長に聞いた。

 ――ロシア革命を今日、どう評価しますか。

 「20世紀初頭は、資本主義が全世界を支配していた時代でした。その時、資本主義に代わる新しい社会を目指す革命がロシアで勝利した。マルクスの理論の中でしかなかった社会主義が現実化し、世界に大きな衝撃を与えたのです。社会党などがあった国では、左派が共産党に発展する。日本のように社会主義者はいるが、政党がなかった国にも共産党が生まれた。影響は世界に広がり、第2次大戦後には、中国やベトナムなどで革命が起きた」

 「もうひとつ大事なことは、ロシア革命が起点となって、民主主義の原則が新たな形で世界に定着したことです。のちに社会的権利と呼ばれる労働者の権利が、革命後の人民の権利宣言で初めてうたわれた。男女平等を初めて憲法に盛り込んだのもソ連の最初の憲法でした。革命は第1次世界大戦中に起きたが、革命政権は、大戦終結の条件として、民族自決権の世界的確立を求めた。これは国連の植民地廃止宣言に実りました。世界の民主的国際秩序の先駆けとなる原則を打ち立てました」

 ――ロシア革命の功罪のうちの「功」ですね。では、「罪」はどうでしょうか。

 「ソ連が積極的役割を果たしたのは革命後の短い期間、レーニン(1870〜1924)が指導した時期でした。それをどんでん返しにしたのがスターリン(1879〜1953)です。晩年のレーニンスターリン大国主義など危険性に気づいて闘争を開始したが、その途中で病に倒れた。スターリンは、一連の内部闘争を経て30年代には共産党と政府の絶対的な支配権を握り、社会主義とは本来無縁の独裁者になってしまった」

 ――スターリンの負の側面が暴かれたのは56年のフルシチョフによる批判以降です。それ以前の、たとえば不破さんのスターリン観は。

 「ソ連は革命後の困難を乗り越えて、第2次世界大戦で米英と組んで勝利したのだから、スターリンはすごい人物だと思い、スターリン全集なども全巻読んで研究したものです。ソ連で起こったスターリン批判はまだごく部分的なものだった。私は、1964年、党本部に入って理論部門を担当して、ソ連の『悪』にぶつかり、スターリンの指揮でソ連日本共産党に内部干渉して、党を一時分裂させた歴史も知った。日本の革命は日本の党自身で考えて答えを出すという『自主独立路線』はこの痛苦の歴史から確立したものです」

 「スターリンについては、コミンテルン共産主義インターナショナル)書記長ディミトロフが詳細な日記を残しており、私は最近、これらの内部資料を使って全6巻の『スターリン秘史』を書き上げました」

 ――何がわかりましたか。

 「スターリンは、第2次世界大戦でヒトラーを破ったが、戦争の始まる瞬間まで、ヒトラーと組んで世界を再分割する夢に酔っていた。戦争の時期にも、大国主義の野望は捨てない。東欧を支配し、対日参戦の条件に領土を要求する。今の中国にもその危険があるが、過去に覇権を握った歴史を持つ国は、新政権ができても大国主義が復活しやすい」

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 ――現代の世界についてはどう見ているのでしょう。

 「21世紀ほど貧困と格差がひどくなった時代はないでしょう。さらに資本主義による最大の害悪は、地球温暖化だと思います。エネルギー消費量がケタ違いに増えてこれほど環境を破壊するとは、誰も予想しなかった。この問題を解決できるかどうかで、資本主義の、人間社会を担う力が試されると言ってもよい」

 ――それを解く力が社会主義にあるということですか。社会主義も現実には、統制経済の破綻(はたん)など失敗の連続ではありませんか。

 「マルクスの考えは、十分な生産力が発達し、自由な人間関係が生まれる経済的基盤があって初めて社会主義が生まれるというものです。しかし、現在までに革命を成功させた国は、欧米の先進国ではなく、ロシアやアジアなど発展の遅れた国でした。社会主義に到達した国は世界にまだ存在しないのです」

 ――マルクス主義の可能性はまだあると。

 「マルクスの理論は、長く誤解されてきました。本当に自由な社会をつくるのが、社会主義の根本論なんですよ。政治的自由だけでなく、生活が保証された上で、自由に使える時間があり、人間の能力を自由に発展できる社会を目指していた。資本主義の段階で生産力をそこまで発展させるのが大前提でした。日本ぐらいの生産力があれば、人間の自由を保障することは十分できる。資本主義に取って代わる社会像に向けての変革の運動とその成功の条件は、資本主義自体の中から生み出されると思います」

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 ――不破さんは日本政治の変遷を見てきました。政治はどう変わりましたか。印象に残る人物は。

 「80年に一部の野党が『共産党を除く』という原則を唐突に打ち立てました。戦前の抑圧とは違うが、共産党排除という異様な政治体制が34年続きました。それ以前はマスコミでも、ひとつの政党として自然体で見られていました」

 「60年代、私が国会議員になる前に新聞の企画で、幹事長時代の田中角栄さんと顔を合わせました。政治家としてなかなか面白かった。彼が首相の時に、私が書記局長で国会論戦をずいぶんやったけれども、石油ショック後の物価高のこと、米軍の原子力潜水艦の入港の際の放射能監視のでたらめさなど、問題を指摘するとしっかりと認めて、『自分の責任でやる』と言って、実行するだけの幅がありました。いまの安倍晋三首相は野党との論戦に応じようとしない。自民党は劣化したんだと思いますね」

 ――なぜ劣化したのでしょう。

 「自民党政治の中身は財界密着と対米従属で、昔から変わりませんが、今は『戦前回帰』というウルトラ右翼の潮流が加わった。それに小選挙区制の問題もあります。党本部が候補者を選ぶので、派閥を超えて総裁が体制をがっちりと握っている。かつて『三角大福中』が首相の座を競い合ったような活力はない。さらに秘密保護法をやり、上級官僚の人事を全て官邸が行う。政治私物化の道具立てがそろってしまった」

 「野党が憲法に従って臨時国会を要求したら、遅らせて、いざ開くとなったら冒頭解散。選挙まで私物化した。自信のなさの裏返しではないか。昔の自民党のほうが強かったのではないでしょうか」

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 ――今回の総選挙で共産党は大幅に議席を減らしました。過去にもブームがありましたが、ある地点で壁にぶつかります。

 「日本共産党が前進したときには、必ず反攻作戦が組織されるのが、戦後政治の一つの特徴で、先ほどの『共産党を除く』の壁もその代表的な一つでした。それに負けないで前進する条件をつくってきたのが、私たちの歴史だった。今度の党自身の後退は、『市民と野党の共闘』をめぐる状況の突然の変化の中で起こったことで、『壁』の再現とは位置づけていません」

 ――共産党と他の野党との協力は野合だと批判されました。

 「綱領の一致は政党の『合同』の条件であって、『共闘』の条件ではない。綱領の違う政党が当面の国民的重大問題で一致してたたかうのが、共闘の本来の精神です。選挙中も訴えたことだが、第2次世界大戦でヒトラーがフランスを占領した時、宗教界から『神を信じる者も信じない者も』という声が上がり、これが抵抗運動・レジスタンスの精神になりました。今、日本の『市民と野党の共闘』を支えているのは、まさにこの精神だと思います」

 ――共産党という名にアレルギーがある人もいます。より広い層に訴えるために党名変更すべきだ、という議論があります。

 「いわゆるアレルギーの大もとには、いろいろな誤解があります。例えば、ソ連型、あるいは中国型の社会を目指している、という誤解。今度の選挙戦の教訓からも、そういう誤解を取り除いてゆく日常的な努力を全党を挙げて強めるつもりでいます。日本共産党は、戦前から95年、この名前で活動してきたが、将来的には、21世紀から22世紀をも展望しながら、日本に理想社会をつくるために活動する政党です。党名には、その目標が体現されています。誤解を取り除く本格的努力をしないで、名前だけ変えて当面を糊塗(こと)するといったやり方は、日本共産党の辞書にはありません」

 (聞き手・三浦俊章、池田伸壹)

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 ふわてつぞう 1930年生まれ。共産党の書記局長、委員長などを歴任。69年から衆院議員連続11期。「スターリン秘史」「宮本百合子と十二年」など著書多数。