「ハックも抱えた偏見、今と呼応 柴田元幸さん訳「ハックルベリー・フィンの冒けん」」

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 以下、朝日新聞デジタル版(2018年1月31日16時30分)から。

 米国の作家マーク・トウェイン(1835〜1910)の代表作を翻訳家の柴田元幸さんが新訳した『ハックルベリー・フィンの冒けん』(研究社)が刊行された。なぜいま『ハック・フィン』? 19世紀の作品をあえて手がけた理由を、柴田さんに聞いた。

 トウェインと言えば『トム・ソーヤーの冒険』。日本では児童文学とみなされることが多いが「マーク・トウェインは児童文学にとどまらない、アメリカ文学の最重要作家」だと柴田さんは言う。

 なかでも『ハック・フィン』は『トム・ソーヤー』の続編として構想されながら、まったく違う性質の輝きを放つ文学として高く評価される。最大の魅力は文章の語り口。「何が書いてあるかよりも、どう書いてあるかが大事なんです」

 原文は文法の間違いだらけ。句読点の使い方もなんだかおかしい。「つまり、ハックが書いてるってことなんですよ。だから訳すときも、ハックが日本語書いたらこの漢字書けないよなとか、そういうことを考えた」

 新訳のタイトルを『ハックルベリー・フィンの冒けん』としたのも、ハックなら「冒」は書けたとしても「険」は難しそうだと考えたから。「『冒険』だと普通の純文学になるし、『ぼうけん』だと児童文学。この小説はそのどちらでもない。マーク・トウェインは、文学的な気取りをそぎ落として文学を作った人だから」

 作中ではハックが、逃げ出した黒人奴隷のジムと旅をする。ハックの黒人に対する偏見と人間的な友情の両方を描いていることが、小説に深みを加えている。「黒人への偏見をハックも抱えていて、偏見と人間性が葛藤しているわけです」

 ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロさんはストックホルムでの講演で「人種差別主義が再び台頭している」と述べた。日本では、お笑い芸人が年末の番組で顔を黒く塗って黒人俳優に扮したことが批判されたばかり。『ハック・フィン』は百年以上前に書かれた物語なのに、現代の社会状況にも呼応するかのようだ。

 「僕は高度成長期に育ったので、世の中は基本的に右肩上がりで、偏見や差別もいつかはなくなると思っていたけど、全然そうじゃなかったわけです。この本はまったく古びていない。古びていないことを、悲しまなきゃいけない」

 ほぼ同時期に刊行された『ネバーホーム』(レアード・ハント著、柴田訳、朝日新聞出版)も、南北戦争期のアメリカを舞台に、ある状況に置かれた人間の残酷さを見つめた小説だ。

 「残酷なやつがいるから世の中だめだみたいな話じゃなくて、主人公自身も残酷さに汚染されている物語。そういうものが、少しずつでも受け入れられたらいいなと思っています」

 (柏崎歓)