「同性婚公表「心の膜が1枚とれた」 キャンベル氏語る」

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 以下、朝日新聞デジタル版(2018年8月30日18時09分)から。

 テレビでもおなじみの日本文学研究者、ロバート・キャンベルさんが今月12日、自身が同性愛者であることをブログに綴(つづ)った。誰もが「ここにいるよ」と言える社会に――。ネット上には今、共感の声が響き合う。キャンベルさんが疑問を投げかけずにいられなかった日本社会の「空気」とは。

 ――ブログの文章は、性的少数者であるLGBTを念頭に「生産性」がない、とした杉田水脈(みお)衆院議員の雑誌寄稿への反論でした。

1957年、米ニューヨーク生まれ。専門は江戸後期から明治時代の文学。東京大学名誉教授。昨年、日本人パートナーと米国で法的な婚姻関係を結んだ。

 「僕自身は、自分のセクシュアリティーのために日本で不利益を受けた自覚はありません。ただそれは、僕が早くからすべての人に公言したわけではなく、周囲に伝えた時点ではすでに安定した社会的な立場にあって、失うものは多くなかったという現実があります。僕よりはるかに若い人たちはどうだろう。杉田氏のような思考は、性的指向を伝えられずにいる日本の若者たちを苦しめてきました。反論するには僕自身の立場や属性を伝えなければならないと思ったのです」

 ――大きな反響を呼びました。

 「ブログの掲載直後は、主眼ではない『ゲイ公表』の方がメディアで強調され、嫌だなと感じました。でも僕のホームページやSNSを通して、性的少数者の人たちから、『勇気をもらった』『カミングアウトをやめようと思っていたけど考え直してみたい』という言葉が届いて、さらに障害者や女性であるがゆえに前に進まない状況にいる方々からも、たくさんのメッセージをもらった」

 ――予想外の反応でしたか。

 「僕はカミングアウトについて斜に構えていたのかもしれません。今の日本で、僕の性的指向という社会におけるリアリティーを伝えること自体に力があることを知りました。公表することで、自分に対するまなざしが変化し、細胞がシャッフルされるようなことが起きると想像する人もいるかもしれない。でもその後で、僕は少しも変わったようには見えないでしょう? 当事者もそうでない人もこのことを実感することが、社会を変える力になると思います」

 「一方で、僕自身は関わりを持てる範囲が広がるんじゃないかなという予感はあるんです。以前は無意識に自分の中に、外からの衝撃を和らげる『生け垣』のようなものを作っていたかもしれない。その心の中の膜が1枚とれたような感じで、今後の出会いでは、色んな話をもう少し深くできそうだと感じます」

(後略)

(聞き手・藤田さつき、二階堂友紀)