東京電力福島第一原発で放射性トリチウムを含む汚染水がたまり続け、もうすぐ100万トンになる。構内には巨大なタンクが950基も立ち並び、現状の計画では2年以内に保管量の上限に達する。だが、処分方法を決める政府や東電の議論は迷走し、解決の糸口は見えない。地元の不信感は募るばかりだ。

 経済産業省は処理方法について、薄めて海に流す海洋放出が最も「合理的だ」として有力視してきた。一定の濃度以下のトリチウムは人体への影響はないとされ、法令で放出が認められている。東電の原発事故より前から世界中の原発で放出されており、処理コストも最も少ないというのがその理由だ。

 取材で現場を訪れるたびに、汚染水をためるタンクの用地確保に苦戦する様子を見てきた。構内に所狭しと並ぶタンクは威圧感があり、無限に増やし続けられるわけではない、という気になる。

 だが、政府や東電から「用地の限界」という説明を聞くたびに、「またか」という思いがする。海洋放出に結論を導こうとする意図が透けて見えてしまうからだ。経産省が昨夏に地元で開いた公聴会では、海洋放出による風評被害を心配する住民から怒声が飛び交った。議論の大前提となるはずの、住民の意見を聞く姿勢を欠いているせいだと感じた。

 昨秋には、浄化処理したタンク水の8割超から、放出基準値を上回るトリチウムとは別の放射性物質が検出されていたことも発覚した。東電は以前からホームページにデータを掲載していたと釈明したが、積極的に公表してこなかったのは明らかだ。不都合なデータもつまびらかにして、信頼を取り戻すはずではなかったのか。住民との約束をほごにしたと思われても仕方がない事態だ。

 一連の問題を受けて開かれた政府の専門家会合で、東電の担当者は「国民の意識とずれがあった」と陳謝した。新たなサイトを立ち上げ、汚染水のデータなどを日本語と英語で発信し始めた。情報公開は大切だが、海洋放出に対する住民の不安や怒りには、なぜ寄り添おうとしないのか。門前払いせず、説明の場を再度設けるなどして、議論を誠実に積み重ねるべきだ。

 政府は今後、専門家会合の提言を受けて最終的な処分方法を決める。総スカンを食らった公聴会を開いただけでは、住民の声を採り入れたことにならないのは明らかだ。科学者や社会学者でつくる専門家会合のメンバーを見直し、消費者や生産者の声を広くくみ取る努力をしてはどうか。都内の会議室で不定期に開くのではなく、地元に出向いて定期的に話し合うなど、議論を尽くすために工夫の余地はあるはずだ。このままなし崩しで汚染水の処分方法を決めることは許されない。

 (かわはらちかこ 科学医療部)