「(プレミアシート)「アメリカン・ユートピア」 多様な12人が紡ぐ讃歌」

f:id:amamu:20210511120038j:plain
American Utopia (soundtrack)

f:id:amamu:20051228113107j:plain

以下、朝日新聞デジタル版(2021/6/4 16:30)から。

アメリカン・ユートピア
 デイヴィッド・バーンはたった一人、裸足でステージに立つ。かつて史上最高のライブ映画と言われたトーキング・ヘッズの「ストップ・メイキング・センス」で、たった一人でステージに立つところからライブをはじめたように。今回もまた一人何にもつながれず、自由にステージに立つ。「ストップ・メイキング・センス」以来最高のライブ映画「アメリカン・ユートピア」の開幕である。

 ステージにはバーンを入れて12人のミュージシャンとダンサーが登場する。全員が裸足で、ワイヤレスの楽器を手に持って。アンプにつながるコードは一本もないから、完全に解き放たれて自由だ。自在に動くミュージシャンたちは華麗なマスゲームを演じ、リズムに合わせて集まっては別れる。何にもつながれない自由な個人が集まって、ひとつの音楽を作りあげる。

 バーンは言う。人間の脳の神経細胞間のつながりは生まれたときがいちばん多く、成長するにつれてそれを失っていく。だが、他人とつながりあうことによって、その欠損を補えるかもしれない。バーンはいくつもの歌で人とつながりあうことを歌い、自分のホームを作ることを歌う。「エヴリバディーズ・カミング・トゥ・マイ・ハウス」と誘い、「そこはただのハウス=家で、ホーム=家庭じゃない」と宣言する。

 12人のミュージシャンはヨーロッパや南米を含む、世界中からやってきた人々だ。彼ら移民たち、裸足で地面に立つ独立した個人たちがひとつになってホームを作る。それこそがまだ見ぬ「アメリカン・ユートピア」なのである。多様性讃歌(さんか)を歌とダンス、シンプルで鮮やかなステージングで表現してみせるバーンの透明な知性に打たれる。出ては引っ込み、会うと見せかけてすれ違っては別れ、くるくると変わったメンバーが、ついにひとかたまりになって歌い上げる「ワン・ファイン・デイ」はあまりに雄弁である。歯切れのいい編集と、真上からステージを見るアングルまで使いこなしてバーンの思想を映像で語りつくす監督スパイク・リーの円熟ぶりが見事だ。(柳下毅一郎・映画評論家)

 ◇各地で公開中