今日はアメリカ革命の独立記念日

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芝田進午編著 「人間の権利 アメリカ革命と現代」

 今日は、The Fourth of July。7月4日。

 アメリカ独立記念日である。

 

 アメリカ革命、独立宣言で思い出すのは、もう40年以上も前の著作になるが、「アメリカ革命の不滅の意義」を強調した芝田進午氏の著作「人間の権利 アメリカ革命と現代」だ。

 「生きる権利」・「自由と幸福を追求する権利」と政治との関係。革命権の革命義務の承認と民主主義との関係については、哲学者・芝田進午さんの説明がわかりやすく、説得力がある。
 以下、「人間の権利 アメリカ革命と現代」(芝田進午編著)<1977年>から。

 

 約一ヵ月前の七月四日、われわれは、アメリカ革命二〇〇周年をいわった。二〇〇年前のこの日、“新世界”アメリカは独立し、その革命行動を「独立宣言」のつぎの言葉で正当化したのであった。
 「われらは、つぎの真理が自明であると信ずる。すなわち、すべての人間は平等につくられ、造物主によって一定のゆずりわたすことのできない権利をあたえられていること、これらの権利のうちには生命、自由、および幸福の追求がふくまれていること。また、これらの権利を保障するために、人間のあいだに政府が組織されるのであり、これらの政府の正当な権力は統治されるものの同意に由来すること。さらに、どのような形態の政府であっても、これらの目的をそこなうようになるばあいには、いつでも、それを変更ないし廃止し、そして人民にとってその安全と幸福をもっともよくもたらすとみとめられる原理にもとづいて新しい政府を設立し、またそのようにみとめられる形態で政府の権力を組織することが、人民の権利であること。」
 「独立宣言」の起草者トマス・ジェファソンが、そのように平等であるすべての人間のゆずりわたしえない権利の筆頭に、「生命」をあげ、しかるのちに自由と幸福を追求する権利、またその他の権利を順序づけたことは重要である。実際、人間にとって、まずなによりも大切なものは「生命」であって、これなしには、他のあらゆる権利、他のあらゆる価値は無であるほかはない。すべての人間は、たった一つしかない人生をまっとうし、有意義に生きる権利をもつ。人間にとっては、まず「生きる権利」が保障されなければならず、それを前提としてのみ自由と幸福を追求し、その他の権利を行使することができる。

 

…政治というものは、けっして自己目的ではない。それは、すべての人間に「生きる権利」、ついで自由と幸福を追求する権利、その他の権利を保障するという目的のための手段でしかない。政治がそのような手段として機能しなくなったばあいには、人間とそのゆずりわたしえない権利が変更されるのではなくて、逆に政治が変更されなければならない。
 このようにして、アメリカ独立宣言は、「生きる権利」から「革命権」をひきだすのであるが、それだけではない。「独立宣言」では、つぎのようにさえ主張されている。
 「長期にわたる暴虐と強奪があきらかに一貫した目的をもって、人民を絶対的専制のもとにしたがわせようとする意図をしめすばあいには、そのような政府を打倒して、みずからの将来の安全のために、新しい保障機構をもうけることは、人民の権利でありまた義務でもある。」(ゴチック*1は筆者)
 みられるように、人民の権利を専制によって圧倒する意図をもつ政府にたいしては、人民は、それに抵抗し、またそれを変革する権利をもつだけではない。さらに一歩すすめて、抵抗し、変革する義務を負うというのである。アメリカの独立宣言が、権利であるとともに、義務でもあるものとして、専制の政府にたいする抵抗、革命だけをあげているのは重要である。まことに、抵抗権・革命権のみでなく、抵抗義務・革命義務の承認と主張。これこそ、「生きる権利」にはじまる基本的人権の諸形態を最終的に保障する最後の権利であり、またそれらをすべて包摂する最大の義務でもある。そのような制度も思想も、この革命権と革命義務を否定するかぎり、けっして民主主義的でありえず、また基本的人権を尊重するものとはいいえない。革命権と革命義務の承認と主張こそ、アメリカ独立宣言の核心にほかならず、また民主主義ならびに人間の権利尊重の試金石なのである。もし、われわれの周辺に、革命権と革命義務の承認を否定し、これをおそれる人がいるとすれば、その人は、アメリカ独立宣言について、さらに民主主義、人間の権利についてさえ無知であり、無教養であることを告白する人であるにすぎない。以上の文脈にてらしてみて、二〇〇年前のアメリカ革命の原理が、今日もなお不滅の意義をもつことはあきらかである。

 

*1:原文では、ゴチックでなく傍点。