「アメリカ革命の不滅の意義」(芝田進午)

人間の権利 アメリカ革命と現代

 
 今回の各党の選挙演説では「改革」はもちろんのこと、「革命」という言葉すら、競い合うかのように飛び交っているという。しかし、その中身はいかなる内容として発せられているのか。
 中味のない空疎な言葉づかいであるなら、それは言霊思想の現代版にすぎないと言われても仕方あるまい。

 「生きる権利」・「自由と幸福を追求する権利」と政治との関係。革命権の革命義務の承認と民主主義との関係については、哲学者・芝田進午さんの説明がわかりやすく、説得力がある。
 なお、掲載にあたっては、勝手ながら、冒頭部分をまずは割愛し、割愛した冒頭部分についてはあとで掲載することをお許し願いたい。
 以下、「人間の権利 アメリカ革命と現代」(芝田進午編著)<1977年>から。
 

 (前略)

…政治というものは、けっして自己目的ではない。それは、すべての人間に「生きる権利」、ついで自由と幸福を追求する権利、その他の権利を保障するという目的のための手段でしかない。政治がそのような手段として機能しなくなったばあいには、人間とそのゆずりわたしえない権利が変更されるのではなくて、逆に政治が変更されなければならない。
 このようにして、アメリカ独立宣言は、「生きる権利」から「革命権」をひきだすのであるが、それだけではない。「独立宣言」では、つぎのようにさえ主張されている。
 「長期にわたる暴虐と強奪があきらかに一貫した目的をもって、人民を絶対的専制のもとにしたがわせようとする意図をしめすばあいには、そのような政府を打倒して、みずからの将来の安全のために、新しい保障機構をもうけることは、人民の権利でありまた義務でもある。」(ゴチック*1は筆者)
 みられるように、人民の権利を専制によって圧倒する意図をもつ政府にたいしては、人民は、それに抵抗し、またそれを変革する権利をもつだけではない。さらに一歩すすめて、抵抗し、変革する義務を負うというのである。アメリカの独立宣言が、権利であるとともに、義務でもあるものとして、専制の政府にたいする抵抗、革命だけをあげているのは重要である。まことに、抵抗権・革命権のみでなく、抵抗義務・革命義務の承認と主張。これこそ、「生きる権利」にはじまる基本的人権の諸形態を最終的に保障する最後の権利であり、またそれらをすべて包摂する最大の義務でもある。そのような制度も思想も、この革命権と革命義務を否定するかぎり、けっして民主主義的でありえず、また基本的人権を尊重するものとはいいえない。革命権と革命義務の承認と主張こそ、アメリカ独立宣言の核心にほかならず、また民主主義ならびに人間の権利尊重の試金石なのである。もし、われわれの周辺に、革命権と革命義務の承認を否定し、これをおそれる人がいるとすれば、その人は、アメリカ独立宣言について、さらに民主主義、人間の権利についてさえ無知であり、無教養であることを告白する人であるにすぎない。以上の文脈にてらしてみて、二〇〇年前のアメリカ革命の原理が、今日もなお不滅の意義をもつことはあきらかである。

*1:原文では、ゴチックでなく傍点。