先週の日曜日、これは偶然にすぎないがアメリカ独立記念日におこなわれた東京都議選。
自公政権に対する評価。そして東京オリンピック開催に関して、東京都知事、そして東京都議会に対する評価が問われる選挙として注目していた。
個人的意見に過ぎないが、その結果は評価できない点と評価できる点に分かれる。
評価できない点としてまず指摘したいことは、投票率である。
その投票率は42.39%(前回51.28%)。史上ワースト2ということだ。
菅首相は自民党の党首・総裁であるにもかかわらず、逃げの姿勢でひとつも選挙応援に出かけなかった、あまり話題にしたくないのか、オリンピックについて政権政党は口をつぐんでいると報道されていた。有権者の民度が試されていることは間違いないが、自民党総裁と政権政党がまともな政策論争も避ける姿勢で投票率が上がるはずもない。
投票率が低ければ低いほど、主権者としての力が発揮されることはない。その分、質の悪い政治がはびこるだけだ。
次に、コロナ対策ひとつを考えるだけで今の自公政権は最悪だと個人的に考えていることから、自公政権、すなわち自民党と公明党への批判票がどれだけ増えるのかが、ひとつの試金石であると考えていた。
政権の責任で、頼みの綱だった肝心のワクチンも遅れている。オリンピック対応も中止意見や慎重意見に耳をかさず、さらに詳細な検討もしないで、突き進んでいる。戦前の「爆弾位は手で受けよ」(1941年)というような特攻精神を期待しているかのようだ。
今回の選挙で「支持政党なし」の人たちは都民ファーストに一番流れたらしい。また選挙結果を見れば、ここは大いに意見が分かれるところだと思うが、「無観客」を訴えた都民ファーストも、個人的にいえば、あまり変わり映えはしない。
今回の勢力図は以下のとおり。
- 自民33(前回25)
- 公明23(前回23)
- 都民ファ31(前回45)
- 共産19(前回18)
- 立民15(前回8)
- 無所属など6(前回7)
127名(前回は欠員1名)
本来は、有権者数・投票者数などを精査しなければならないのだが、その余裕がない。また都議選で問われたものはコロナ対策・オリンピックばかりではないが、コロナ対策とオリンピックは争点としてはずすことはできないので、その印象を書く。
マスコミでは勝者なき都議選と言われているが、敗者はいる。敗者は自民党であるという意見がある。
たしかに、たとえば、 6つある一人区で自民党はひとつしか当選していない。一方、公明党は、前回比で全員当選。薄氷を踏むような大激戦だったのでこれを奇跡的という人もいるが、これは低い投票率に救われたという評価が少なくない。つまり低い投票率の中でそもそも持っている組織票の価値が高まったという見方である。投票日が雨だったということで、雨に救われたという意見もある。しかしながら、雨に救われた当選結果とはなんとも心もとなくはないか。
自公政権が、今回の都議選結果から、今秋想定されている総選挙の結果を心配するのは当然だ。
安倍・菅と続くこんなひどい政権にさらなる支持が寄せられたら、さらにひどいことになることは明々白々だから、都議選結果をみて、政権に心配させたことはよいことだった。個人的見解を述べさせてもらえるならば、反省などしない政権だから、この程度では生ぬるい。さらにお灸をすえなければならない。
その点でいえば、自民党は、前回の25議席からすれば、今回8議席も増やしているのだ。先に触れたように、公明党は前回の23議席を死守して23議席。都民ファーストは前回の45議席を減らしたとはいえ、小池都知事の都民ファーストの会に対する最後の応援*1も手伝って31議席。
そもそも、都議会における「与党」とはどこなのか。
正直よくわからない。
オリンピック対応にしても、都民ファーストは「無観客」を提案する程度で、オリンピックを支持する政党は、自民党・公明党・都民ファーストを合計するならば、前回93議席が87議席に6議席減っただけなのだ。
一方、オリンピック中止を訴える共産党とオリンピックに批判的な立憲民主党は、いわゆる市民と野党の共闘をかかげ、共産党が1議席増、立憲民主党が7議席増で、前回の、合わせて26議席が34議席となった。共産党と立憲民主党を合わせて考えるのは、そんな単純な話でないことはよくわかっている。
また、ジェンダー問題でいうと、今回女性議員を支持する投票行動が目立った印象があるが、日本では、森元首相に象徴されるような古い体質に対して女性有権者をはじめジェンダー感覚のある有権者はほとほと嫌気がさしているのだろう。女性候補者の当選が目立った印象がある。
いずれにしても、無謀なオリンピックに暴走する自民党・公明党という政権与党とオリンピック「無観客」を訴える都議会で勢力の強い都民ファーストの数を足してみると、過半数はゆうに越えているのだ。
その点に注目するならば、それは前回も今回も同じで、きわめて個人的な見方になってしまうのだが、都民ファーストの数が減り、自民党の数が増えただけのことで、「内訳」が変わっただけという言い方もできるのではないか。
さらに個人的に言わせてもらえば、もっと自公政権に批判を強めることに注目するならば、共産党・立憲民主党、そしてその他の市民と野党の共闘に注目せざるをえない。
そう見てくると、大いに心配になるのが、小池都知事の人気である。
小池都知事は、空気感をつかむのがうまいという。
実はそういう人が一番危ないのではないか*2。
小池都知事は、選挙直後自民党の二階氏に挨拶に行ったように、都民ファーストはもちろん、政権与党の自民党にウィングを広げている。
いまの政治家で最悪なことは、政治家が自分の欲得だけを考えて、都民や有権者のことをちっとも考えていないことだ。有権者をだますことしか考えていない政治家が多すぎる。
そう見てくると、勝者なき都議選と言われながら、今回一番得をしたのは小池氏ではないか。
個人的には、政治風刺マンガ家として、やくみつるさんを高く評価している。ただ、昨日朝日新聞に掲載された作品は、以上述べたことから、少し浅いのではないかという印象をもたざるをえなかった。
無謀なオリンピックに暴走するリスク。その危険性が顕在化する確率は、いよいよ高まっている。
地球温暖化と気候変動、そして自然破壊が、災害を増大させている中*3、政治がオリンピックより優先してやるべきことがあるのではないか。
哲学者・芝田進午氏はアメリカ独立宣言の意義、アメリカ革命の意義について、氏の著作「人間の権利 アメリカ革命と現代」の中で以下のように書いている。
...政治というものは、けっして自己目的ではない。それは、すべての人間に「生きる権利」、ついで自由と幸福を追求する権利、その他の権利を保障するという目的のための手段でしかない。政治がそのような手段として機能しなくなったばあいには、人間とそのゆずりわたしえない権利が変更されるのではなくて、逆に政治が変更されなければならない。
このようにして、アメリカ独立宣言は、「生きる権利」から「革命権」をひきだすのであるが、それだけではない。「独立宣言」では、つぎのようにさえ主張されている。
「長期にわたる暴虐と強奪があきらかに一貫した目的をもって、人民を絶対的専制のもとにしたがわせようとする意図をしめすばあいには、そのような政府を打倒して、みずからの将来の安全のために、新しい保障機構をもうけることは、人民の権利であり、また義務でもある。」(ゴチック*4は筆者)
安全・安心を守ることのできない政権には退場を願うほかない。