「アメリカ革命の不滅の意義」(芝田進午)

 前掲の「前略」として略した冒頭部分を次に掲載する。
 文章が書かれた時期は、アメリカ革命二〇〇周年を祝った40年以上も前の1976年であることにご留意願いたい。
 今回、芝田進午さんの文章を掲載するにあたり、順序を編集して掲載したことをお許し願いたい。

 約一ヵ月前の七月四日、われわれは、アメリカ革命二〇〇周年をいわった。二〇〇年前のこの日、“新世界”アメリカは独立し、その革命行動を「独立宣言」のつぎの言葉で正当化したのであった。
 「われらは、つぎの真理が自明であると信ずる。すなわち、すべての人間は平等につくられ、造物主によって一定のゆずりわたすことのできない権利をあたえられていること、これらの権利のうちには生命、自由、および幸福の追求がふくまれていること。また、これらの権利を保障するために、人間のあいだに政府が組織されるのであり、これらの政府の正当な権力は統治されるものの同意に由来すること。さらに、どのような形態の政府であっても、これらの目的をそこなうようになるばあいには、いつでも、それを変更ないし廃止し、そして人民にとってその安全と幸福をもっともよくもたらすとみとめられる原理にもとづいて新しい政府を設立し、またそのようにみとめられる形態で政府の権力を組織することが、人民の権利であること。」
 「独立宣言」の起草者トマス・ジェファソンが、そのように平等であるすべての人間のゆずりわたしえない権利の筆頭に、「生命」をあげ、しかるのちに自由と幸福を追求する権利、またその他の権利を順序づけたことは重要である。実際、人間にとって、まずなによりも大切なものは「生命」であって、これなしには、他のあらゆる権利、他のあらゆる価値は無であるほかはない。すべての人間は、たった一つしかない人生をまっとうし、有意義に生きる権利をもつ。人間にとっては、まず「生きる権利」が保障されなければならず、それを前提としてのみ自由と幸福を追求し、その他の権利を行使することができる。

 (後略)

 芝田さんの原文は、以上掲載した文章の「後略」の箇所に、前掲の文章が続いている。
 今回、哲学者・芝田進午さんの文章を、勝手に前後を入れ替えて掲載したが、そうした恣意的な編集をお許し願う他ない。