英語の勉強が辛い

 最近、英語の勉強が辛くて仕方がない。新たな飛躍を望んでいるが、どうしてどうしてなかなか急な坂で、息を切らしている。
 8月30日に買ったWebsterの辞書*1は、毎日、何度もひいているので、もうボロボロである。単語は覚えるのもパワー、忘れるのもパワーである。時には何度も同じ単語をひくことがあるが、意図的に無理して単語を覚えようとしていないので、自分が成長していないことを痛感させられ、西洋語との絡みでいえば、インド・ヨーロッパ語と関連があまりないという点で、日本語という閉じられた言語に恨みすら覚える今日この頃だ。単語を引くたびに、ラテン語ギリシャ語、フランス語、ドイツ語などの語源の明示*2を見ては、溜息をついている。
 Readingのクラスは、ジムに代わり、バイロン(仮名)という先生になった。バイロンは力量があり、体系・語源・概念など、キチッキチッと押さえるので、逆に教室にいるのが苦痛だ。この前、The New York Review of Books*3という硬派のクオリティペーパーの中から、ユダヤ人、ナチスなどの歴史を扱ったものを読まされ、討論させられたが、文脈がつかめず、議論に全く参加できなかった。質問されて、仕方無く「全く中身がつかめない。ヨーロッパの歴史に弱い」と言うと、「それでは、みんなに質問をしろ」と言われたが、情けないことに「そうはしたくない」としか言えなかった。
 readingについて言えば、雑誌Timeなど前よりも読めるようになったが、ともかく、speaking、listening、readingは苦痛だ。
 私の力量では、知的対決が望めない。ディスカッションも覚束ない。かなりの力量がつかなければ、コミュニケートできるようにならない。いずれにしても、いまは自分の力に絶望するしかない。
 私の所属しているセクション6のクラスメートは、国際的ジャーナリストや、国際的ジャーナリストを目指している人、弁護士を目指している人、翻訳家を目指している人が多く、英語の力量がある人たちが多いので、自分の力の無さに打ちひしがれてしまって、学校に行くのも時々嫌になる。発音の勉強はよして、ロジックの勉強をしなくてはと思っているが、どうやってよいのかわからない。いずれにしても、多く読まなくてはいけないと思っている。フィーリング英語から脱出したいのだが、なかなか道は険しい。
 こちらに来て3ヶ月強、すぐに大いなる飛躍を望む方が無理なのかもしれないが、無理をしなければ伸びない。絶望を感じるのも健全なことだとわかっているが、時にどうしようもない気持ちになる。「夜明け前」と観念して、明日も学校へ行って、恥をかくことにしよう。

*1:紺色の表紙のペーパーバックの辞書。

*2:前掲のWebsterの辞書には語源が載っている。語源を掲載している辞書は私の好みであり、お薦めである。

*3:http://www.nybooks.com/